せっかくなので全国旅行支援を使っておこうと箱根に行った。

これまで、旅行支援では長野に行ったので、それと同じように思っていたけれど、神奈川は色々と事情が違うようで、クーポンは紙ではなくアプリ、コンビニなどでは使えないと現地で知った。


行く前に岡田美術館というのがあると知ったけれど、料金が高く(2800円)、そんなに払って行くほどのものかわからないのでやめておこうと思ったが、ここでクーポンが使えるということを知り、それならと行ってみた。


スマホは持ち込めないなど入館はものものしく、それだけ入館料を取るだけあって、設備など色々とお金をかけている感が伝わってきた。

そんな所に、金時山に登った後の小汚い私が(服とか靴とか)、クーポン使っての入館です。ちょっと気が引けました。


でも、中に入ればそんなこと気にならない。

なんせ、美術館が大好きな私。美術品に囲まれると(ものによりますが)、自然に作品に集中します。

ここは、高いだけあって人があまりおらず、また、しっかり作られていて一層作品に集中できる環境だった。


まずは一階の展示室へ。順番通りに鑑賞。

一階は、中国の古い時代の陶磁器などが中心。

この美術館はどうも、東洋の陶磁器などが多いらしいと知る。基本的に作品を見て感じることを重んじている私は、何の予備知識もありません。


正直、私は中国の美術品というと、なんとなく精巧ではあるが華美、ケバケバしいイメージがあって(もちろんそうでないものも見たことはあるはずだが、あまり記憶に残っていない)、好きなタイプではないと思っていた。

しかし、歳をとったせいか、また、ここのところずっと聴いているコテンラジオで、中国の歴史の奥深さを知ったせいか、なんだかわからないが、この一階の展示、特にはじめの部屋辺りの、古い時代のものには感動した。


前漢は紀元前。日本だと弥生時代…。弥生式土器とかで埴輪もまだという頃に、この国ではこんなものが!と特に心に響いたのが、土器?の人形。「加彩男性俑」ということで男性なのだろうが、男とも女ともつかないような(写真なくてごめんなさい。スマホ持ち込み禁止なので。検索すると出てきます)すらっと美しい人形だった。

俑ということで、お墓の副葬品らしいが、もったいない!すごく美しい佇まいだった。もちろん古代?の品なので、技巧がすごいとかではなく、素朴なところもあるのだが、でも素朴なだけでなく繊細な美しさがあって、ちゃんと実在した人をモデルに作ったと思われるような、モデル自身を感じることができ、時代を超えてその人に共感してしまうようなところがあった。


後ほど上の階で埴輪も見たのだが、埴輪はこの時代より後なのに、のっぺりしていてただ素朴なだけというか。そこがかわいいのかもしれないが、それ以上のものはない。同じ副葬品といっても、ここまで違うか!と強く感じた。

埴輪なら、同じ階に飾られていたもっと古い時代の(前漢より古い縄文の)土偶はずっといい。土偶にはやはりパワーがある。呪術的な力を感じるし、見た目もいい。


一回の展示に戻るが、その俑を始め、前漢の時代のものが数点あってどれも良かった。唐になると技巧が加わってきて、徐々に私好みではなくなってきた。

…と思って陶器などを見ていくと、再びぐっとくる時代があった。金(という中国東北部の異民族の王朝)の陶器はすごく自分好みだった。全体的に技巧というより力強さを感じる作品が多かった。白地に黒で大胆な模様が描かれているものが多く、それもモダンさを感じさせるデザインでよいのだが、私が特に好きだったのは、薄い青い地に紫の斑がついた陶器で、色合いがとても美しかった。


その後は多くが技巧です。巧みかもしれませんがあまり好みではありません。

私は、絵画もそうなのだが、技巧にあまり興味がないと改めて感じた。中国の工芸品に興味がなかったのはそのせいだ。しかし、さすがに中国は奥深く、特に初期の技巧がまだの頃に、それでも高い文明を持っていたので表現したい何かがあって、それをその時代にある手法で表現した作品に、その時代の人たちの感性、すごく古い時代なのに、現代の私が見て伝わる、心を打つものがあって、取り巻く環境(技術含む)は大きく変わっていても、人間のスペックは変わらない、同じ感性を持っているな、と、古代の人と繋がったように感じた。

そこから中国の文明は高度に発達して、その時の技巧を最大限に使って、どうだ!すごいだろ!と言っているようで、私にはあまり合わなかったのだが、金朝は異民族の王朝なので、それまでの技巧は使いながらも、表現したいことが違っていたのだと思う。


この美術館では上の階の日本絵画が人気のようだが(私は日本の絵画も大好きです)、特にこの、一階の中国の品々が心に残った美術館だった。


上の階には日本の磁器(江戸時代の肥前のもの中心)がたくさん展示されており、その模範となった中国の磁器との違いが面白かった。

中国のものは精巧で(技術が高いから、色も鮮明で形も正確、絵付けも色々な色を使って細かい模様をびっちり入れる感じ)、日本のものは、もっと緩いというか、絵付けもものによって違っていたり、何も描かない部分を入れたりしてあえて隙を作り、そこに美しさを感じるのだなと思った。また、精巧さを目指さず、隙を作るのがいいと感じているだけあって、日本の絵付けはどこかかわいらしいところがあり、KAWAIIは日本人が元々持ち合わせている感性なのだな、とも感じた。

この時代になると、技巧に走る中国の作品よりも、好きを美意識と感じる日本的感性の方に共感した。


高い入館料だが、こうしてある程度のボリュームをもって中国や朝鮮半島、日本の長い時代にわたる作品を見ていくと、比較により時代ごとの差、国ごとの差などがよくわかり、なかなか興味深かった。