私の父もアルコール依存症だった。

診断を受けたことは無いけれど

間違いない。


父は“私には・静かなアル中”だった。

暴言を吐かれたことも、手を上げられたことも、覚えはない。


しかし母との間柄は壮絶だった。

母は下戸で、その上感情を押さえられない💦

浅草生まれの歯に衣着せぬタイプ。

家の中にはいつも両親の怒号と

何かが割れる音がしていた。


もちろん。

毎日継続的に喧嘩ばかりしていたわけでは無かったのだろうけれど。

私の記憶にはその景色ばかりこびりついている。


昔々 夏のある日。

たぶん家から程近い食堂に父とふたりで居たのだろうと思う。


私の前にはイチゴのかき氷。

父の前には瓶ビールとコップが有った。


「ねぇパパ、私の為にお酒を止めることは出来ないの?」

まだ舌足らずな口で私は父に言った。

何故そんなことを言ったのか?

当時 幼いなりに思い詰めた台詞だった。


嘘ごとのドラマみたいなシーン。


だけど、若い父が私を見つめて

困ったような顔をして

少し笑った顔を

私は確かに“見た”


待望の男の子が産まれず亡くなってしまって。

やっと生まれた男の子もすぐに命を失くしてしまって。

オマケみたいに授かった女の子を父は可愛がってくれた。


私にも甘えとおごりが有ったはず。

「私の為」って言ってみたら…。

もしかしたら。

パパとママの喧嘩は減るかも知れない。浅知恵だけど必死だった。 


でも、今ならわかる。

止めたくても 既に止められない状態だったんだよね。


田舎のバス停の前にポツンと有るような大衆食堂

扇風機がまわっていた。