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今回は、豊臣秀吉の側室、淀殿(茶々)についてお話したいと思います。

淀殿は、豊臣秀吉の側室として有名ですが、なんと関ヶ原の戦いのときの年齢は、33才でした。
戦国時代とはいえ、とても若いですよね。
33才で豊臣家を女手ひとつで息子秀頼を育てつつ、家を守っていかないとういけないとはかなり精神的にタフではないとやっていけないと思います。
このような話があります。
江戸時代の医師である曲直瀬玄朔が、豊臣秀吉の側室であった茶々の病状を記したものがあります。
茶々は、秀吉の死後、その子である秀頼の後見人となり、大坂城に住んでいました。
茶々は、このとき33歳でしたが、気鬱という精神的な苦しみに悩まされていました。
食欲がなく、めまいがするという症状があり、これは現代の言葉でいうと、鬱病にかかっていたと考えられます。
曲直瀬玄朔は、茶々に漢方薬の「快気湯」と「木香」という生薬を処方しました。
これらは、気の流れを良くして、気分を明るくする効果があるとされています。
茶々がなぜ鬱病になったのかは、わかりませんが、しかし茶々は、秀頼の母親として、羽柴家の家事を取り仕切っていました。
その羽柴家は、徳川家康によって次第に追い詰められていき、茶々は秀頼の将来や羽柴家の存亡について、大きな不安や心配を抱えていたのでしょう。

それが、茶々の心身に影響を及ぼしたのだと推測できます。
茶々は、その後も鬱病から回復することはなく、最期は悲劇的な死を遂げました。
茶々の悲しい運命は、日本史の中でも特に印象的なものの一つです。
淀殿は、史実では男らしい女性のような気がしましたが、やはり普通の33才の女性であり、戦国時代は女性にとってはあまりにも過酷な時代だったと思います。
悪女と呼ばれた淀殿は、実際は、デリケートな女性だったのではないかと思います。


