藤ノ木古墳の埋葬者は誰なのか | 日本の歴史とヨーロッパの歴史をライフワークにして

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今日は、以前奈良県飛鳥の飛鳥万葉文化館に行ったときにレプリカですが、藤ノ木古墳の埋葬物が展示されていました。

その埋葬品の復元したものを見たのですが、飛鳥時代とは思えないほどの精巧な作りで素晴らしかったことが思いだせれますひらめき

藤ノ木古墳の概要を引用させて頂きます🙏ダウン

藤ノ木古墳(ふじのきこふん)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある古墳。国の史跡に指定されている。「藤ノ木」の名称は所在地の字名に由来するが、法隆寺関係の古文書・古記録によれば、かつては「ミササキ」「陵山」(みささぎやま)などと呼ばれていた[1]玄室内から大量に出土した土師器須恵器の年代から古墳時代後期、6世紀第4四半期の円墳であると推定されている。この時期に畿内では前方後円墳の造営が終わりに近づいていた。
藤ノ木古墳 


埋葬者は、言い伝えですが、穴穂部皇子と宅部(やかべ)皇子です。

穴穂部皇子は、聖徳太子のおじさんにあたり、宅部皇子は穴穂部皇子の親友らしいですが、なぜかどちらかはわかりませんが、1人は女装されて埋葬されていたようです。

穴穂部皇子は、宅部皇子と結託して反乱を起こそうとして捕まり、処刑されました。

なぜ合葬墓になったのかはわからないようですね。
そしてなぜ1人は男性なのに女装させられたのかキョロキョロ

飛鳥時代は謎にみちた時代で面白いですニコニコ