来月、1月17日は私メとして世の中が変わった日。

阪神淡路大震災から29年。

不幸中の幸いで我が区は全壊1戸、半壊多数。

また、町内は1時間ほどの停電で済んた。

水道が止まったら売棟しいのでヤカンや鍋と新品のポリタンに満タン及びバスタブ満水・・・。

当時はファンヒーター暖房と電気炬燵で、灯油を買おうと販売店に電話したら来れば売れますと。

ガソリン半分の車を走らせて5㌔ほど。

販売店は列を為して無くホットして20㍑4缶。

帰路にガススタが営業してたので車を満タンにした。

停電が復帰してテレビを見たら『市街地、我が街全滅』気が抜けたね。

其の日は散乱した家財の整理と割れた食器の廃棄処分。

度々起きる余震はイヤなモノ。

近くの雑木林がザワザワ騒いで電線が鳴ったと思ったらグラグラと来るの。

テレビは点け放しでの情報収集、スマホなんて無かったし携帯も黎明期。

固定電話は回線パンクで繋がったり繋がらなかったり。

コンビニに行ったら殆ど売り切れ・・・当日のみでしたがね。

関東大震災のような流言飛語は無かったけれども、被害大の市街地では醜聞があった様な。

まだ40代半ばだったので気を張ってアレコレ出来たけれど。

此の歳になって南海トラフが動いたら・・・・もう知らん(*_*;

そうそう。

この時は村山内閣の連立政権。

神戸在住の国会議員が携帯電話で甚大な被害を伝えるも『彼はいつも大袈裟だから』と。

アホか大阪空港まで飛んで来てヘリで上空から視察せい。

大阪梅田は青空が広がって・・・・別世界。

一説に依ると首相は自衛隊の災害出動を躊躇して『アンタらに任す』と言ったとか言わなかったとか。

気が抜けた様なフラフラした消防隊員の身になってみい。

同僚の町内消防団員は市街地の救助活動に従事して悲惨な現場を見て精神に異常を来したのだから・・。

誰かがワシを追い掛けて来るとか言ってね、PTSDの言葉が無かった時代は過去のモノ。