今日は12月8日。

82年前の今日は開戦記念日ですね~。

我が街も大戦末期に米軍の無差別大空襲を受けて焼野原。

亡き母親が空襲の怖さを語ってましたね。

幸いにも住居は庶民が住む山ノ手でしたから焼夷弾の洗礼はありませんでしたが。

爆撃機の音と小高い丘から見える下町の風景は炎と黒煙で何とも言えぬ状況だったと聞いてますね~。

私メは戦争を知らない戦後っ子、団塊の世代ですがね。

小中学校頃までは進駐軍(占領軍)の蒲鉾型の兵舎が残ってましたよ。

ウエストキャンプとイーストキャンプと言ったかしら。

金網で囲われた敷地の兵舎。

繁華街の片隅では元傷病兵が軍帽を被った白い衣装で片足など欠損した御方が募金箱を首からぶら下げて街行くヒトに寄付を募ってました。

ただね。

其の御方が裏路地でベルトで片足を曲げて縛ってたのを解いてるのを同級生が目撃して、怖い目で睨みつけられたと・・・言ってましたな~(-ω-)/

どの時代でも便乗する御方が居るモノだと。

公園では工場倒産の為に在庫品を売る御方が居ましたな。

朝鮮特需で景気が上向いてたのに倒産なんて有るモノか〜。

売ってるモノは万年筆でペン先を板に叩きつけてもスラスラ書ける。

立て板に水の如く話してる時に万年筆を差し替えてるのね。

サクラの顧客が『そりゃ安い○本くれ』とか其処此処から声が掛かる。

万年筆が必要な感じの風体では無いのにね~(#^.^#)

夏場になれば背中に天然色の絵を描いた御方が、其の素肌に薄いダボシャツにステテコ穿きで足元は雪駄・・・。

身体揺らして歩いてたね~・・異常な外股歩き(*_*;

もはや戦後では無いとエライ人が言っての東京五輪は東洋の魔女。

テレビに齧りついて声上げてた時代は過去のモノ。