録画してた某公共放送のドキュメンタリーを観た。
ローマ帝国時代のセメント構造物もしくはセメントか一部使用されている構造物。
石灰にヘスビオ火山から噴出された火山灰をと砂を混ぜて水で溶くとセメントが出来る。
其れに小石やレンガの破片を入れたらコンクリートの出来上り。
此のコンクリートはコロッセウムや水道の暗渠・トンネル構築に使用されてた・・・と。
ローマ帝国の時代ですよ~Σ(・□・;)
其処で思ったね。
当時としては何故か忘れ去られていたらしいが、スペインの宣教師が鉄砲を始めアレコレとヨーロッパ文化を伝えた時にセメント・コンクリートの製法を伝えてたら、日本の城に影響を与えたのでは無いかいなと。
城の石垣はコンクリート製で木造構造物の天守や櫓の外壁もコンクリート。
複雑な構造が簡単に作る事が出来るコンクリリートなら、オーバーハングの付いた擁壁もOK。
石積みの穴太衆は特殊コンクリート打設施工業者に。
穴太衆のコンクリートは何処よりも堅牢で耐久性に優れ、尚且つ表面が石垣模…なんて。
ふむ。
構造体の重量を支える為に上にいくほど狭まってるデザインは若干変化したかも知れ無いね。
そうそう。
領地内の治水や治山工事もはかどるでしょうな。
難攻不落の城郭に災害の無い領地は栄え、豊かな国。
時代は変わって。
大阪城が鉄筋コンクリトー造りであったなら徳川軍の大筒に天守は破壊され無かったのでは。
大筒の弾がはじき返されるのが見ものですな。
会津の鶴ヶ城が堅固な鉄筋入りのコンクリートなら官軍も手間暇かかったのでは。
もしもを考えたら楽しいね💛💛