京都の祇園での事件が起きてから俄に注目を集める癲癇(てんかん)。
昔は、医学的にも原因がわからないため、狐憑きとか言われて忌み嫌われてきた病気。たしかになんの知識もなければ、急に癲癇発作を目の前で見たらビビってしまうだろうなあ。理解でけへんねんもん。
しかし、少なからず自分の周りに存在するのがこの癲癇持ち。
かつてバンドの練習をしているスタジオでドラム叩いてた知人がいきなり後ろにズドーンと椅子から落ちてそのままぶくぶくと泡を吹きながら己の舌を噛み切らんとするばかりに痙攣していた。
どこかで耳にした、下を噛み千切らないように口を開けさせるという対処法を思い出し、近くに投げ出されてたドラムのスティックを知人の口に笑顔の練習のように食いしばらせ、なんとか事なきを得た。
あんなもん、知らんかったら、目の前で人が死ぬ。とさえ思った。
その時の彼は僕が命の恩人だということも知らず、えらそうにアホみたいに2ちゃんの知識は俺の知識のような口ぶりで意味不明なことを言いつつ多分世界のどっかで生きているはず。
そうそう、そんな彼は車の運転中に癲癇発作を起こしそこらへんのどこぞかに激突し、車は大破、なんとか本人は工事現場のおじさんに救出されたりしている。これが2回も。
それでも知人は運転し続けている。癲癇どうこうというよりも単なるアホである。
なので、今回の祇園の惨事も発作が起きた時の体の硬直具合なんかを考えるとどこかのタイミングで発作が起きて、そのままどうしようもなくなった状態で電信柱に激突したのかと思う。ハンドル操作なんてのは多分偶然。事件じゃなくて事故だろうと思っている。
真実はこれから明らかになるのかもしれないが、癲癇を持っている事は恥ずかしいとか、仕事に就けないとか有るかもしれないが、少なくとも身の回りの人たちには知っていてもらったほうが長生きできる。
癲癇患者がいじめられているんは知らん。
癲癇じゃなくてもいじめられているのは知っている。
事故も同じ。
癲癇患者が事故を起こしやすいかもしれないが、
癲癇じゃない人が事故を起こしているのも知っている。
酔っぱらい運転が事故を起こしやすいのも知っている。
ま、彼が死ぬまで僕は彼を知人としか呼ばない。そして、これもいじめでもなく愛なのである。
昔は、医学的にも原因がわからないため、狐憑きとか言われて忌み嫌われてきた病気。たしかになんの知識もなければ、急に癲癇発作を目の前で見たらビビってしまうだろうなあ。理解でけへんねんもん。
しかし、少なからず自分の周りに存在するのがこの癲癇持ち。
かつてバンドの練習をしているスタジオでドラム叩いてた知人がいきなり後ろにズドーンと椅子から落ちてそのままぶくぶくと泡を吹きながら己の舌を噛み切らんとするばかりに痙攣していた。
どこかで耳にした、下を噛み千切らないように口を開けさせるという対処法を思い出し、近くに投げ出されてたドラムのスティックを知人の口に笑顔の練習のように食いしばらせ、なんとか事なきを得た。
あんなもん、知らんかったら、目の前で人が死ぬ。とさえ思った。
その時の彼は僕が命の恩人だということも知らず、えらそうにアホみたいに2ちゃんの知識は俺の知識のような口ぶりで意味不明なことを言いつつ多分世界のどっかで生きているはず。
そうそう、そんな彼は車の運転中に癲癇発作を起こしそこらへんのどこぞかに激突し、車は大破、なんとか本人は工事現場のおじさんに救出されたりしている。これが2回も。
それでも知人は運転し続けている。癲癇どうこうというよりも単なるアホである。
なので、今回の祇園の惨事も発作が起きた時の体の硬直具合なんかを考えるとどこかのタイミングで発作が起きて、そのままどうしようもなくなった状態で電信柱に激突したのかと思う。ハンドル操作なんてのは多分偶然。事件じゃなくて事故だろうと思っている。
真実はこれから明らかになるのかもしれないが、癲癇を持っている事は恥ずかしいとか、仕事に就けないとか有るかもしれないが、少なくとも身の回りの人たちには知っていてもらったほうが長生きできる。
癲癇患者がいじめられているんは知らん。
癲癇じゃなくてもいじめられているのは知っている。
事故も同じ。
癲癇患者が事故を起こしやすいかもしれないが、
癲癇じゃない人が事故を起こしているのも知っている。
酔っぱらい運転が事故を起こしやすいのも知っている。
ま、彼が死ぬまで僕は彼を知人としか呼ばない。そして、これもいじめでもなく愛なのである。
