「そういえば、あれってこうやけど、最後どうなったんやろか?」
「今度、これ買おうかと思うねんけど、どう思う?」
「なんじゃらかんじゃらって言ってたけど、あれはどういう意味?」
「あのテレビってなんとかって人やったけど、なんとかって今何してんの?」


もうね、知らんねん。
なんにも知らん。
知ってる訳ない。
文学的なものから、政治的なものから、俗学的なものまでいろいろとうるさい。
最後にいたってはどこの井上公造やねんと。



知らんことがあるから人間なんてものをしてるわけで、知らんことがどんどん出てくるから明日も生きようって思うわけ。


それは言い過ぎだとしても、知らない事を何でもオイラに聞いてどないすんねん。



わしゃ、お前さんのアイフォンやないんやで。
そんなに気になるなら自分で調べたらええねん。


こうやって知らないことを聴くのがコミュニケーションだと言うのなら、それは僕的にはコミュニケーションじゃなくて、一方通行的な問いかけで有り、そこから続く会話は、
「知っている」か
「知りません」で完結してしまう。

それならば、調べた上でその答えをベースにコミュニケーション取りましょうや。



なんてことを考えてしまうのである。
めんどいね。