昔は、正月なんて家に居たくないなあ、なんてずっと思ってた。


うちの家は別に裕福でもないし、良家でもない。ごくごくフツーにあるフツーの一般家庭である。だが、昔から元旦は自宅で全員揃って「おめでとう」の挨拶をすること。これが決められていた。いや、厳密にいうと決まっては無かったのだが、これが当たり前という状況に近い。


そして、この我が家のルールをなんとはなしに守り続けている。高校生や大学生時代には、この訳の分からんルールさえなければ年越しでスキーなんてのもできるのにとか思っていたのだが、最近はあんまり思わなくなった。


むしろ、徐々に懐古しているというか、別に好きな人と一緒に居たいとか、どこそこで騒いで遊び疲れて眠ってたいとか、そういうのが本当に無くて、なんなら「ザ・正月」みたいなのを満喫したくなっている事に気づいた。


今年は、自分の車がびっくりするくらい汚れまくっていたので付けなかったが、去年と一昨年はナンバープレートあたりに注連縄のような飾り付けをしていた。これまた時代錯誤的ではあるのだが、個人的にはおもしろがって付けていたのだ。さすがに旧正月まで付けていると恥ずかしくなって来たが、まあ、それもありかなと。


あと、昔はあんまりというかほとんど食べられなかったおせち料理がだんだん味が判るようになって来たというか、食べられるようになってきた。いまだにプチプチした数の子とかは無理だが、意外とあれこれ食べられる。


ただ、おせち料理はうちの母親もどんどん手抜きしているので、自前のお重が2段、どっかの料亭だか百貨店のおせちで3段のを二つである。お重を単純に足しただけでも8箱って多ない?


しかも入っている内容でいえばそこまで大差ない。っていうか縁起をかつぐ的な意味合いでいけば同じであるほうが普通である。


正月の3が日に我が家にいる人数を考えるとまあきれいに無くなるくらいの量なのだが、1日の朝にお重が並んでるとまあ壮大な感じがする。



で、ここから本題。


2ちゃんねるとかで話題になっているおせち騒動。ぼくもあの写真を見た時、こんなんありえへん。って思ったが、本当のようでびっくりである。お正月みんなでたのしみにして箱を開ける直前の気持ちの高ぶりと、開けた後のどよーんってなった気持ちを考えるだけでなんだかとても寂しく悲しくなってしまう。


これがまぁ、つっこみどころ満載なのよね。
詳しくは調べてもらば大量に見つかるはず。



どうにも偽装とか営業体質とか、あちこちで問題が出てきそうなものではあるが、一年の計は元旦にありなんていうくらいだし、きちんと対応してほしいものだ。