明治生まれの祖母は今生きてたら120歳というところです。

(101歳で亡くなりました。)

 

 

名前はマチちゃんです。

 

商家の5人姉妹の末っ子です。

農家の長男、祖父とは恋愛結婚です。

 

昔、若いボーイズは5人くらいでつれだって、

隣村に女の子たちを見に行ったそうです。ボーイ ミーツ ガール。

そこでグループ交際していたのかどうかはわからないんですが、気に入った人を嫁にしたようです。

 

祖父はマチちゃんに、

「うちに嫁に来ても百姓やらなくていいからね」と言ったそうです。

 

本当にそう思ってたのか、ただ結婚したかったからか、わからないですが、

実際は、農作業に、家事に、舅、姑に仕えて、子供も7人産んで大変だったそうです。

 

 

その家の次男、私の父の言葉

「実家では、米、麦、サツマイモ、エンドウなどの野菜、それに養蚕もやってました。

おやじは厳しい人、抱いてもらったなんて記憶は一つもない。たまに家にいないと、ああよかったせいせいするってくらい、怖かった。

おふくろはいい人というか働き者、百姓に加えて家事もやらねばいかんでしょう、働き者にもなりますよ。」

 

 

 

父の子供のころの農作業の記憶は

「小学校4年になると、家の手伝いをやるようになるんです。それはうちだけじゃなくて農家の子はみんなそう。

最初は草むしりとか、リヤカーを押すとかね。当時は耕運機なんてないから手と体を動かすしかない。

いろんな場所に畑や田んぼがあって、山を越えていく所にもあった。あっち行ったり、こっち行ったりしました。

 

もう少し大きくなった頃、牛を飼うようになったんですね。牛は荷物を運ぶことに使ってました。

当時は人糞が肥料だったんです。隣町までそれを買いに行くんです。8樽くらいあるからそれを牛にひかせて戻ってくる。においもあるけど、重いので運ぶのに苦労したよ」

 

そんなことを家族でやっていたようですが、長男にはやらせなかったみたいです。

長男は特別扱い。跡取りとして、別格に甘く育てられていたようです。

 

 

 

養蚕については、蚕のことは「おこさま」と“様づけ”でした。

繭を売ったら現金収入が入るので、それで、1年に2回、多い時は3回蚕を飼っていたそうです。

そうするとめちゃくちゃに忙しくなり、本当に大変だったようです。

 

 

昔は、子供を産んでも、全員育つわけではないのですが、

マチちゃんは全員育てました。

 

私に、「みんな育ったんだよ、おばあさん(子育て)上手でしょ」なんて言っていたな~

 

姑はかなりきつい人だったようです。

昔は姑は絶対だったのでしょう。

マチちゃんも泣いていたようです。

すごく大変だったみたい。

 

 

 

これらは、ほんの80年、90年前の話です。昭和です。

 

「いったいいつの話だよ~」というくらい、今と大違い。

昔はそうやって女性は大変、そんなだったんでしょうね。

 

 

 

ここまで読んでいただき大変ありがとうございました。