54帖『夢浮橋(ゆめのうきはし)』

巻名は、古歌「世の中は 夢の渡りの 浮橋か うちわたりつつ ものをこそ思へ

 (世の中は夢の中で渡る浮橋のようなものであろうか 橋を渡って逢瀬を重ねながらも 悩みが絶えないものだなあ)

に基づくと思われる。「夢」という語がこの巻に五回使われる。

 ※第19帖『薄雲』にも「夢の渡りの 浮橋か」との引用あり。

 

◆薫28歳◆

<物語の流れ>

   薫の大将 →横川の僧都を訪ね、浮舟が生きていることを知る →浮舟の異母弟小君を遣いに出す

   浮舟 →既に死んだものとして、遣いの弟小君にも会おうとしない →浮舟の世話をする僧都の妹尼が几帳を立て小君を導く →小君、薫の大将の手紙を渡す →返事を書くことさえ頑なに拒む

   

     図_1『夢浮橋』(書き出し部分)(東京大学総合図書館)

 

<書き出し>

「山におはして、例(れい)せさせたまふやうに、経仏(きゃうほとけ)など供養(くやう)ぜさせたまふ。またの日は横川(よかは)におはしたれば、僧都(そうづ)おどろきかしこまりきこえたまふ。年ごろ、御祈りなどつけかたらひたまひけれど、ことにいと親しきことはなかりけるを、このたび、一品(いつぽん)の宮(みや)の御ここちのほどにさぶらひたまへるに、すぐれたまへる験(げん)ものしたまひけり、と見たまひてより、こよなう尊びたまひて、今すこし深き契(ちぎ)り加へたまひてければ、重々(おもおも)しうおはする殿(との)の、かくわざとおはしましたることと、もて騷ぎきこえたまふ。御物語など、こまやかにしておはすれば、御湯漬(ゆづけ)など参りたまふ。」

 

 ((薫の大将は)叡山に行かれて、いつもおさせになるように、経典、仏像など供養させなさいます。その翌日には、横川に行かれれば、僧都を想い掛けず恐れ多いことと申し上げられます。今までも、御祈祷などをお任せになる話をされましたけれど、ことに特別親しいということはなかったのですが、このたび、一品の宮の御病気についてご奉仕されたことで、優れられた効験を示された、とご覧になってから、この上なく尊く思われて、もう一段深き御縁を加えられましたので、(右大将という)重々しい地位にいらっしゃるおが、このようにざわざお越しくださったことと、(僧都は)懸命に御接待なさいます。(薫の大将が)御話を丁寧になさっていらっしゃるので、御湯漬など差し上げます。)

 

 ※「年ごろ、御祈りなどつけかたらひたまひけれど」は、写本(東京大学本)では「年ころ祈なとにつけかたらひたまひけれと」と「に」がある。

 図_2『夢浮橋』の一部(変体仮名)

 

 ※「つけかたらひ」は、

  「つく」(他動詞カ行下二段活用{け/け/く/くる/くれ/けよ}、任せる、託す、委嘱する、の意)の連用形「つけ」

  +「かたらふ」(他動詞ハ行四段活用、親しく話し合う、相談する、の意)の連用形「かたらひ」

 ※「もて騒ぐ」は、自動詞ガ行四段活用、大騒ぎする、もてはやす、の意

 

<薫の大将の手紙>

浮舟が生きていたことを知り、薫の大将は手紙を書き、浮舟の弟小君を遣いに出す。

「『さらに聞こえむ方なく、さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひ許しきこえて、今はいかで、あさましかりし世の夢語りをだに、と急がるる心の、我ながらもどかしきになむ。まして、人目はいかに』
と、書きもやりたまはず。

 

 (「まったく申し上げようもなく、いろいろと罪障の深いお身の上を、僧都に免じてお許し申し上げて、今は何とかして、せめて驚くばかりの当時の夢のような話だけでもと、せかれる気持ちが、自分ながらもどかしく思われるのです。まして、傍目にはどんなに見られるでしょうか」

と、お心を書き尽くしきれていません。

 

《和歌》「法の師と たづぬる道を しるべにて おもはぬ山に 踏みまどふかな」(薫の大将)

 (仏の道の師として横川に僧都を訪ねたところ、その導きで思いも寄らぬ恋の山にうろうろしているのです)

 

この人は、見や忘れたまひぬらむ。ここには、行方なき御形見に見る物にてなむ』

など、こまやかなり。」

 (この子を、お忘れになったでしょうか。わたしは、行方不明になったあなたのお形見として見ているのです」

など細やかに書いています。)

 

 浮舟は、薫の大将の手紙を読もうともせず、遣いの小君にも会おうとせず、世話をしてくれる尼君に手紙を返すように伝えるだけ。

「昔のこと思ひ出づれど、さらにおぼゆることなく、あやしう、いかなりける夢にかとのみ、心も得ずなむ。」

 (昔のことを思い出そうとしても、何も心に浮かばず、怪しくて、どんな夢を見ていたのかというふのみで、何も分かりません。)

 

<最後の部分>

「いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、すさまじく、なかなかなりと、思すことさまざまにて、人の隠しすゑたるにやあらむと、わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。」

 

 ((薫の大将は)いつ帰るかとお待ちであったのに、(小君が)このようにわけも分からぬように帰って来たので、期待も外れて、面白くなさそうに「中途半端でかえって良くない」と思われることいろいろあって、「誰かが匿っているのか」と、ご自身の思い寄らぬ陰りもなく(浮舟を宇治のような所に)劣った扱いにしたままになされたご経験によって、と元の本にあったそうです。)

 

 ※ここまでで全物語終了

「とぞ本にはべめる」は、写本の筆者が原本にはこうあったとする注記か、作者の物語の大尾を示す常套句か。

【例】「楼の上も下」も「となむ本にこそはべるめれ」<『宇津保物語』の大尾>

 

※あえて未完なのか、源氏物語はこれで全編完結と云われているが。

※世に云われるように恋愛小説であるのなら、源氏が死去した時点で終了しても、その趣旨は十分伝わる。『宇治十帖』に至る、さらに孫の代まで話を続けているのは、「時の流れ」という無常を語るもの以外の何物でもない。

  源氏物語全体を通して表われる「橋」とは恋の意(人の「業」の現象)のことか。主題は、人には意志の及ばぬ「業」があり、唯物的に物が空間を作り、質量が空間を歪め重力を作るが如く、唯心的に「業」が「時」を作り、その「時」は世代を超えて続き、「時」が連なりゆくことで生じる「時の流れ」か。