48帖『早蕨(さわらび)』

宇治山の阿闍梨から新年の挨拶と共に籠に蕨や土筆が届く。巻名は、阿闍梨と中の君との歌の遣り取りから。

《和歌》「君にとて あまたの春を 摘みしかば 常を忘れぬ 初蕨なり」(阿闍梨)

 (亡き宮様にはと長年、春には献上いたしておりましたので、いつも通りの初蕨をさしあげました)

 

《和歌》「この春は 誰にか見せむ 亡き人の 形見に摘める 嶺の早蕨」(宇治の中の君)

 (今年の春は(姉君も亡くなり)誰にお見せしましょうか、亡き父宮の形見としてお摘み下さった峰の早蕨を)

 ※「形見」の音に「筐(かたみ)」(竹で編んだ籠)を響かせる。

 

◆薫25歳春◆

<物語の流れ>

   弁(べん)・・・薫の大将に柏木の遺品(手紙)を渡した老女、宇治一族に縁(ゆかり)の深い人(八の宮の北の方から見ると、叔母は頭の中将の子柏木の乳母、この乳母の子が弁の君)→大君の死を悲しんで尼に

   匂の宮 →宇治の中の宮を京へ呼び寄せる

   夕霧 →娘六の君を匂の宮へと考えているが、薫の大将へも

   薫の大将 →中の君へ興味を抱く

 

<書き出し>

薮(やぶ)しわかねば、春の光を見たまふにつけても、いかでかくながらへにける月日ならむと、夢のやうにのみおぼえたまふ。ゆきかふ時々にしたがひ、花鳥(はなとり)の色をも音(ね)をも、同じ心に起き臥(ふ)し見つつ、はかなきことをも、本末(もとすゑ)をとりて言ひかはし、心細き世の憂(う)さもつらさも、うちかたらひあはせきこえしにこそ、なぐむかたもありしか、をかしきこと、あはれなるふしをも、聞き知る人もなきままに、よろづかきくらし、心ひとつをくだきて、宮のおはしまさずなりにし悲しさよりも、ややうちまさりて恋しくわびしきに、いかにせむと、明け暮るるも知らずまどはれたまへど、世にとまるべきほどは、限りあるわざなりければ、死なれぬもあさまし。」

 

 (藪深き山里にも、春の光が注ぐのをご覧になられて、どうしてこのように生きながらえてしまった月日であろうと、(中の君は)夢のようとだけ思われるのです。行き交う季節のままに、花鳥の色も音も、(姉君と)同じ心で起き伏して(日を過ごして)、ちょっとしたこと(和歌を詠むとき)にしても、上の句と下の句とをそれぞれ付け交わして、心細い暮らしの情けなさも恨めしさも、互いに語らい合い申し上げて参りましたからこそ、慰められることもあったけれども、趣あることも心に染みることも、聞いて解ってくれる人もいないので、心の晴れる時もなくて、ひとり悲しみに打ちひしがれて、父宮の亡くなられてしまった時の悲しみよりも、少し(姉君を)恋しく辛いので、どうしたらよいのかと、日の明け暮れるのも知らず悲しみにくれられていますが、この世に生きる寿命の長さは、限りのある定めなので、死ぬことも叶わないとは情けないこことです。)

 

 ※「藪しわかねば」は、藪多い所(そのような山里)をも分け隔てをしないで、の意

 名詞「藪」

  +[強意]の副助詞「し」、体言、連用形・連体形、副詞、助詞に接続

    ※「しも」「しぞ」「しか」「しこそ」など係助詞を伴うこと多かり。現代語の「ただし」「必ずしも」「果てしない」など、慣用化した語の中に見られる。

  +他動詞「分(わ)く」(区別する、押し分けて進むの意)の未然形「わか」

  +打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」

  +順接の接続助詞「ば」(~のところ、~なのでの意)

 ※「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形「しか」