36帖『柏木(かしはぎ)』

柏木亡き後、夕霧の同情は恋心に変わるが、母親の御息所から拒まれる。巻名は、交わされる歌の内、柏の木(葉守の神)の話から。

《和歌》「ことならば 馴らしの枝に ならさなむ 葉守の神の 許しありきと」(夕霧)

 (どうせのことなら、この連理の枝のように、親しくしていただきたい。葉守の神のお許しがあったこととおぼしめして)

 

《和歌》「柏木に 葉守の神は まさずとも 人ならすべき 宿の梢か」(落葉の宮の母御息所)

 (柏の木に神はいらっしゃらなくても、ほかの人をならしてよい(近づけてよい)宿の木の梢でありましょうか)

 ※「葉守の神」とは、樹木に宿って、それを護り、葉を茂らせる神。柏、楢の木に宿ると云われる。

 ※「坐(ま)す」は、自動詞 サ行四段活用(さ/し/す/す/せ/せ)、いらっしゃる「あり」の尊敬語

 ※「と-も」は、接続助詞

動詞型・形容動詞型の活用語の終止形、形容詞型の活用語および打消の助動詞「ず」の連用形に付く。中世以降、動詞型・形容動詞型活用語の連体形にも付く。

  ①〔逆接の仮定条件〕たとえ…ても

 「千年(ちとせ)を過ぐすとも、一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ」<徒然草 七>

 (たとえ千年を過ごしたとしても、(たった)一夜の夢の(ように短い)気がするであろう)

  ②〔既定の事実を仮定の形で強調〕確かに…ているが、たとえ…でも

 「かくさし籠(こ)めてありとも、かの国の人来(こ)ば、皆開(あ)きなむとす」<竹取物語 かぐや姫の昇天>

 (たとえこのように(私を)中に閉じこめていても、あの国(=月の世界)の人が来たら、(戸が)すべて開いてしまうであろう)

 

◇光源氏48歳正月~秋◇

<物語の流れ>

   女三の宮(22歳)→右衛門督(柏木)との子(後の薫の大将)出産→女三の宮(22歳)、不義に苦しみ出家

   右衛門督(32歳)・・・柏木のこと、致仕の大臣(元頭の中将)の子→六条院(源氏)を裏切った思いに苛まれ、女三の宮の出家を聞いて心身疲れ果てて死去、死の直前に権大納言に。

   大将の君・・・夕霧(27歳)、光源氏と葵の上との子 →柏木の遺託から落葉の宮を弔問→恋心に

   女二の宮・・・右衛門督の妻(落葉の宮、女三の宮の姉)

 

<書き出し>

「衛門(ゑもん)の督(かむ)の君、かくのみなやみわたりたまふこと、なほおこたらで年も返りぬ。大臣(おとど)、北の方、おぼし嘆くさまを見たてまつるに、しひてかけ離れなむ命かひなく、罪重かるべきことを思ふ心は心として、また、あながちにこの世に離れがたく、惜しみとどめまほしき身かは、いはけなかりしほどより、思ふ心異にて、何ごとをも、人に今一際(ひときは)まさらむと、公私(おほやけわたくし)のことに触れて、なのめならず思ひ上(のぼ)りしかど、その心かなひがたかりけりと、一つ二つの節(ふし)ごとに、身を思ひ落としてしこなた、 なべての世の中すさまじう思ひなりて、後(のち)の世の行ひに本意(ほい)深く進みにしを、親たちの御恨みを思ひて、野山にもあくがれむ道の重きほだしなるべくおぼえしかば、とざまかうざまにまぎらはしつつ過ぐしつるを、つひになほ世に立ちまふべくもおぼえぬもの思ひの、一方ならず身に添ひにたるは、 我より他に誰かはつらき、心づからもてそこなひつるにこそあめれと思ふに、恨むべき人もなし。」

 

(衛門督の君(柏木)が、このようして具合の悪いことが続かれて、依然として良くならず年も改まりました。大臣(父、致仕の大臣)や北の方(母)が嘆くさまを御覧になって、無理にこの世を離れようとする命を捨てても何の甲斐もなく、(親に先立つ)罪が重いであろうと思う気持ちは、気持ちとして、しかしまた、どうしてもこの世に未練があって、命を取りとめたい身であろうか、幼い頃より、人とは違って、何ごとも、ひと際抜きんでようと、公私にわたり人並み以上に気位高くいたのであるけれど、その望みは叶いがたいものであったと、一つ二つのたびごとに、自分は駄目だと思ってきてこのかた、すべて世の中のものが面白くなく思われるようになって、後の世のための仏道修行に気持ちが深く傾いたけれども、親たちのお嘆きを思うと、野山に彷徨う(修行の)道の重い妨げになるであろうと思われたので、あれこれと気持ちを紛らわせて(出家せずに)日を送って来たが、ついに、とうとう、世の中で立ち舞って行けると思われない思いの、あれこれとわが身に生じてきたのは、自分の他に誰が辛いことか、自分の気持ちで駄目にしてしまったようであると思うと恨むべき人もいない。)

 

 ※「いはけなし」は、形容詞{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ}、幼い、あどけない、の意

 ※「あくがる」は、自動詞ラ行下二段活用、心が身体から離れてさまよう、何処ともなく歩く、の意

 ※「絆(ほだ)す」は、他動詞サ行四段活用、動けないようにつなぎとめる、束縛する、の意

 ※「心づから」は、自分の心から、の意

 ※「もてそこなふ」は、しそこなう、失敗する、の意

 ※「あ-めり」は、ラ変動詞「あり」の連体形「ある」+推定の助動詞「めり」で、「あるめり」の撥(はつ)音便「あんめり」の「ん」が表記されない形、読むときには「あんめり」と発音する、~あるようである、あるように見える、の意