24帖『胡蝶(こてふ)』

巻名は、六条院春の庭(紫の上の住居)で豪華な船が浮かべられるなど繚乱な催し物がなされたことに触れた歌から

《和歌》「花ぞのの こてふをさへや 下草に 秋まつむしは うとく見るらむ」(紫の上)

 (花園に舞う胡蝶をも下草に隠れて秋を待つ松虫はなんとも思わないのでしょうか)

 

《和歌》「こてふにも さそはれなまし 心にありて 八重山吹を へだてざれせば」(秋好中宮)

 (胡蝶の舞人が帰ってゆくのについて行きたい思いでした。そちらでわざと幾重にもお隔てになりませんでしたら。)

 ※「胡蝶」に(来いという)をかけ、「来い」とおっしゃって下されば(出向いていきましたのに)、の意を含める。

 

◇光源氏36歳春~夏◇

<物語の流れ>

   光源氏 →玉鬘の美しさで貴公子たちの心を惑わして楽しもうとする思惑通り、兵部卿の宮(光源氏の弟)、右大将髭黒(承香殿の女御春宮の母の兄)、岩漏る中将(内大臣の子柏木、玉鬘とは腹違いの弟)が玉鬘に興味を示す→親代わりのはずが、玉鬘に好意を寄せる

 

<書き出し>

「弥生(やよひ)の二十日あまりのころほひ、春の御前(まへ)のありさま、常よりことに尽くしてにほふ花の色、鳥の声、ほかの里には、まだ古(ふ)りぬにやと、めづらしう見え聞こゆ。山の木立、中島のわたり、色まさる苔のけしきなど、若き人びとのはつかに心もとなく思ふべかめるに、唐(から)めいたる船造らせたまひける、急ぎさうぞ かせたまひて、おろし始めさせたまふ日は、雅楽寮(うたづかさ)の人召して、船の楽(がく)せらる。親王(みこ)たち上達部(かむだちめ)など、あまた参りたまへり。」

 

 (三月二十日過ぎの頃、春の御前(紫の上の屋敷)の庭の様子は、いつもより特に今盛りと匂う花の色があり、鳥の声がして、ほかの町(屋敷)の方々には、まだ盛りは過ぎていないのであろうかと、珍しがってご覧になります。築山の木立、池の中島の渡り、色鮮やかな苔の様子など、若い女房たちは微かにしか見えず、物足りなく思っているようなので、唐風の船を作らせなさり、急いで艤装なさせられて、池に浮かべ始められた日は、雅楽寮(うたづかさ)の人を呼ばれて、船にて饗せられます。親王や上達部たちが大勢お出でになられました。)

 

 ※「に-や」は、格助詞「に」+係助詞「や」、①「や」が疑問の意を表す場合、~に~か、の意、「や」が反語の意を表す場合、~に~か、いや~でない、の意

 ※「はつかなり」は、形容動詞、ナリ活用{なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ}、微かである、ほんの僅かである、の意

 ※「めり」は、推量の助動詞、ラ変型活用{―/めり/めり/める/めれ/―}、終止形接続(ラ変では連体形接続)、~のようである、のように見える、の意

 

《和歌》「たちばなの かほりし袖に よそふれば かはれる身とも 思ほえぬかな」(光源氏)

 (あなたを、昔なつかしい亡き母君と思ってみれば、とても別人とは思えません)

 

《和歌》「袖の香を よそふるからに たちばなの みさへはかなく なりもこそすれ」(玉鬘)

 (亡き母にそっくりだとのことですので、わが身も母と同じようにはかなく終わるのではないかと存じます)

 

《和歌》「うちとけて ねも見ぬものを 若草の ことあり顔に 結ぼほるらむ」(光源氏)

 (共寝をしたわけでもありませんのに、どうしてあなたは、いかにも事ありげに思い悩んでいらっしゃるのでしょう)