16帖『関屋(せきや)』

巻名は、光源氏と空蝉が逢坂(おうさか)の関で再会、源氏の行列が「関屋より、さとはづれ出でたる」と書かれてある本文中の言葉から。

 

◇光源氏29歳秋◇

<物語の流れ>

   空蝉(37歳)→夫の伊予の介が常陸之介に任じられて四年間東国に →任明けて京へ戻る途中、光源氏の行列に遭遇→身分の差を感じ光源氏を受け入れぬまま出家 →光源氏の計らいで二条院東院へ

 

<書き出し>

「伊予(いよ)の介(すけ)といひしは、故院(こゐん)かくれさせたまひてまたの年、常陸(ひたち)になりて下りしかば、かの帚木(ははきぎ)もいざなはれにけり。須磨の御旅居(たびゐ)もはるかに聞きて、人知れず思ひやりきこえぬにしもあらざりしか、伝へ聞こゆべきよすがだになくて、筑波嶺(つくばね)の山を吹き越す風も、浮きたるここちして、いささかの伝へだになくて年月かさなりにけり。限れることもなかりし御旅居なれど、京に帰り住みたまひて、またの年の秋ぞ、常陸は上りける。」

 

(伊予の介といった者は、桐壺院の崩御した翌年、常陸の介に任じられて下向したので、あの帚木(空蝉)も連れられて行きました。須磨の退居も遥か遠国で聞いて、人知れずお案じ申し上げないでもなかったが、お伝え申し上げるつてもなくて、筑波嶺の山を吹き越す風に託すのは頼りない気がして、まったく便りを出すこともなくて年月が経ってしまいました。いつまでと限ることもなかった退居ですけれども、帰京された翌年の秋に、常陸の介は上京した。)