3帖『空蟬(うつせみ)』

巻名は光源氏と空蝉との贈答歌に拠る。

《和歌》「空蝉の 身をかへてける 木(こ)のもとに なほ人がらの なつかしきかな」(光源氏)

 (蝉が殻抜(もぬ)けて行った後に残された殻に、憎くはあるがやはりあなたを懐かしむことです)

 ※「うつせみ」とは、本来、この世に生きている身体の意。『万葉集』に「空蟬」「虚蟬」の宛字が用いられたことから蝉の意に。蝉の縁で「木のもと」と言い、「人殻」(残された小袿)の「人柄」を掛ける。

 

《和歌》「うつせみの 羽におく露の 木隠(こがく)れて 忍び忍びに 濡るる袖かな」(伊予の守の妻、空蝉)

 (蝉の羽に置く露が木の間隠れで見えないように人目に隠れてひっそり涙に濡れる私の袖でございます)

 ※光源氏は、殻を脱ぎ捨て飛び去った蟬を詠い、伊予の守の妻は羽を露で濡らした蟬を詠う

 

◇光源氏17歳夏◇このとき空蟬(25歳)

<物語の流れ>

   光源氏 →小君の手引きで寝室に忍び込む →伊予の守の妻は身分の差を気にして小袿(こうちぎ)を脱ぎ捨て逃げる →光源氏、間違えて不本意ながら軒端の荻(伊予の守の娘)と契る

 

<書き出し>

「寝られたまはぬままには、「われは、かく人に憎まれてもならはぬを、今宵なむ、はじめて憂しと世を思ひ知りぬれば、はづかしくて、ながらふまじうこそ、思ひなりぬれ」などのたまへば、涙をさへこぼして臥したり。いとらうたしとおぼす。手さぐりの、細く小さきほど、髪のいと長からざりしけはひの、さまかよひたるも、思ひなしにやあはれなり。あながちにかかづらひたどり寄らむも、人わろかるべく、まめやかにめざましとおぼし明かしつつ、例のやうにものたまひまつはさず。夜深(よぶか)う出でたまへば、この子は、いといとほしく、さうざうしと思ふ。」

 

 (眠れないままに、「わたくしは、このように人につれなくされることも今までなかったのに、今宵は初めてこの世を情けないと思い知って、恥かしくて、生きてゆけそうにないような気持ちになった」など仰れば、小君は涙をこぼして臥していました。光源氏は、たいそう可愛らしいと思われる。手触りがほっそりして小柄な身体つきで、髪のあまり長くない様子が、似ているのも、気のせいか心がそそられるのです。むりやりにまとわりついて居所を探して近づくのも、体裁の悪いことであろうし、本気でひどい人であると思われつつ夜を明かして、いつものように小君にあれこれとおっしゃりません。暗い内に(紀伊守の邸を)出られるので、小君は大変お気の毒で、物足りなく思いました。)

 

 ※「まつはす」は、サ行四段活用 さ/し/す/す/せ/せ、[自動詞] 付きまとう、[他動詞] 付き添わせる、の意

 

【登場人物】

 小君(こぎみ)

  故衛門督(ゑもんのかみ)の末の子、空蝉の弟、両親と死別して姉空蟬のもとに身を寄せている。後に右衛門佐(えもんのすけ)になる(『関屋』)。

 

 軒端の荻(のきばのをぎ) 

  空蟬の夫伊予介(いよのすけ)の先妻の娘、空蝉と碁を打っているところを空蝉と間違えられて、夜、光源氏に襲われる。後に蔵人少将の妻となる(『夕顔』)

 ※「右近の将監(ぞう)」という兄がいる・・・新斎院(弘徽殿の女三の宮)の御禊(ごけい)の日に源氏の仮の随身となったときに右近の蔵人の将監、須磨退去の源氏に随行する。

 ※軒端は、壁よりはみ出た屋根の端を軒(のき)、軒端はその先端の意

 ※荻は、水辺や湿地に群生し、秋、黄褐色の穂を出す。薄(すすき)に似て、秋風にそよいで葉ずれの音を立てるものとされる。[季語] 秋

  ☞「さらでだに あやしきほどの 夕暮れに 荻吹く風の 音ぞ聞こゆる」<斎宮女御『後拾遺和歌集』巻第四秋319>

(そうでなくてさえ不思議なほど(人恋しい)夕暮に、荻を吹き渡る(淋しい)風の音が聞こえて参ります)