総柄友禅和紙(王朝絵巻)(画像:ウェブ上から拾ったもの)

 

物語の時代は、桐壺帝* → 朱雀帝 → 冷泉帝 → 今上帝*

                      *(時代を示す呼び名は記されない)

 

明石の君(あかしのきみ)

  明石の入道の一人娘、光源氏との間に明石の姫君(後の今上帝の后、明石の中宮)を産む。後に明石の上として六条院冬の町に住む。

 

明石の入道(あかしのにふだう)

  父は、桐壺の更衣の父按察使の大納言と兄弟、近衛中将(三位中将)の官職を捨て地方官(播磨守)として財を築き、出家、娘の良縁を住吉明神に祈願、須磨に隠遁していた光源氏を明石に迎え結婚に導く。光源氏が帰京することに合わせて、娘(明石の君)、孫(明石の姫君)、妻(明石の尼君)を京に送り、一人残る。

 

朝顔の君(あさがほのきみ)

  桃園式部卿の宮(桐壺帝の弟)の娘、光源氏の恋愛遍歴から求愛を拒み続ける。斎院(賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両賀茂神社に奉仕した皇女のこと)の後、屋敷に引き籠り、後に出家。『帚木』『若菜』まで時折り登場、光源氏が執着していたことが窺われる。

 

葵の上(あふひのうへ) 

  左大臣と三条の大宮との娘、頭の中将の妹、光源氏より四歳年上の正妻で、端正な人柄、六条御息所(ろくでふのみやすどころ)の生霊(いきりよう)に悩まされ、男子(夕霧)を産んで後、二十六歳で急死

 

伊予の守(いよのかみ)

  空蝉の夫、前妻との間に(紀伊の守(きのかみ)、軒端荻(のきばのおぎ)、右近将監(うこんのぞう)という子がいる。

 

浮舟(うきふね)

  八の宮と京時代の女房中将の君(八の宮北の方の姪)との娘、大君への思いを重ねて薫の大将が、まず愛人として引き取り、その噂から接近した匂兵部卿の宮も関係を持つ。両者の求愛の板挟みとなり、自ら入水を試みるが、僧都一行に救われる。生きていたことを知った薫の大将が浮舟の異腹弟小君(陸奥守と後妻中将の君との子)を遣いに出すが、厭世的なまま、小君に会おうともせず返事もかかず、薫の大将を落胆させて、源氏物語は全編を閉じる。

 

空蟬(うつせみ) 

  故中納言兼衛門督の娘、伊予介(いよのすけ)の後妻、弟小君(こぎみ)がいる。一度だけ光源氏と契ることになるが、その後は身分の格差に悩み、再会しても拒み続ける。伊予介の死後出家、その後、光源氏に迎えられて二条東院にて晩年を過ごす。

(紫式部自身も年の離れた山城の守藤原宣孝(ふじわらののぶたか)の後妻、死別)

 

右大臣(うだいじん)

  左大臣派(光源氏)と政界で対立する右大臣のこと、弘徽殿の女御、螢兵部卿の宮の北の方、朧月夜の父

 

落葉の宮(おちばのみや)

  朱雀帝の第二皇女(女二の宮)、母は一条御息所、柏木の妻となるが、柏木(頭の中将と右大臣の娘四の君との子)の死去後、夕霧(光源氏と葵の上との子)から迫られ夫婦関係を持つことになる。夕霧の側室籐の典侍(とうのないしのすけ)(光源氏の臣下藤原惟光の娘)の産んだ六の君(匂の宮の妻)の養母。

 

大君(おほいぎみ)(宇治の)

  重要人物、八の宮と北の方との娘、父親の思いを汲んで安易に男に下ることなく薫の大将からの求愛を断り、妹の幸せを願いつつ病死。これは宇治十帖の伏線となり浮舟に繋がっていく。

  ※大君とは、第一の姫君のこと、貴人の長女に対する尊敬語。「中の君」「三の君」「四の君」などに対していう。

 

朧月夜(おぼろづきよ)

  桐壺帝時代の右大臣の娘(六の君)、弘徽殿の女御の妹、上述の光源氏の歌から有明の君とも呼ばれる。光源氏と付きつ離れつ浮名を流し、後に出家。

 

柏木(かしはぎ)

  内大臣(後の致仕の大臣、元頭の中将)と桐壺帝時代の右大臣の娘四の君(弘徽殿の女御の妹、朧月夜の姉)との子、朱雀帝の娘女三の宮(光源氏に降嫁)と関係を結ぶ。このことが光源氏に知れ、女三の宮は不義の子(後の薫の大将)を産み、出家。柏木は罪に悩まされ、若くして病死。「柏木」とは、和歌における衛門府、衛門督の雅称とされる。

 

薫の大将(かをるのだいしやう)

  光源氏の妻女三宮(朱雀帝の娘)と柏木(頭の中将の子)との不義の子

 

桐壺の更衣(きりつぼのかうい)

  父は按察使大納言、後宮では後ろ盾がなく清涼殿から最も遠くの淑景舎(しげいしゃ)に住むことから桐壺更衣と呼ばれる。桐壺帝の寵愛を受け、他の女御の苛めに愛ながら帝の子、光り輝く源氏を産むが、源氏3歳のときに死亡。兄(出家)がいる(『賢木(さかき)』)。桐壺帝がそっくりと見染めて後妻にした藤壺に投影して光源氏の生涯に影響を与える。

 

桐壺帝(きりつぼのみかど、きりつぼてい)

  三条の大宮(左大臣の妻、頭の中祷、葵の上の母)と同腹(弟か)、桐壺の更衣を寵愛したことで「桐壺帝」と呼ばれるが、弘徽殿の女御(右大臣の娘)との子(第一皇子、後の朱雀帝)がいる。第二皇子(光源氏)に強力な後見のないことを配慮して源氏の姓を与える。

  ※第八皇子が「宇治十帖」で登場する八の宮(宇治の大君、中の君、浮舟の父)。

 

今上帝(きんじょうのみかど)

  在位中につき時代を示すことになる名はまだない。朱雀帝の第一皇子、母は、承香殿女御(じょうきゃうでんのにょうご)(髭黒の大将の妹)、子どもに明石の中宮(明石の姫君、光源氏と明石の君との娘)との間に匂兵部卿の宮(匂の宮)、麗景殿の女御との間に女二の宮(薫の大将の妻)がいる。

  ※「承香殿(じょうきゃうでん)」は「弘徽殿(こきでん)」に次いで格が高いとされている。

 

雲居の雁(くもゐのかり)

  内大臣(後の致仕の大臣、元頭の中将)と右大臣の娘四の君(弘徽殿の女御の妹、朧月夜の姉)との子、母親は離縁して按察使大納言と再婚しているため、祖母三条の大宮(頭の中将と葵の上の母)の許で同じ祖母を持つ夕霧(光源氏と葵の上との子)と一緒に養育される。夕霧の妻となるが、夕霧が柏木の未亡人落葉の宮と夫婦関係を結ぶと別居する。

 

源典侍(げんのないしのすけ)

  良家の出身、琵琶を得意とし、家柄良く人柄も優れ、趣味も良く、教養、才能豊かで帝の信頼も厚い能力のある高級女官、年に似合わぬ色好み。『紅葉賀』で初登場、既に五十七、八歳、『朝顔』で再登場、七十歳前後。

 

弘徽殿の女御(こきでんのにようご)

  右大臣の娘、桐壺帝が東宮の頃の入内、桐壺帝との間に第一皇子(後の朱雀帝)を産む。最も格の高い弘徽殿(こうきでん、こきでん)に住み、朱雀帝即位に伴い皇太后(弘徽殿の大后)となり権勢営を誇る。桐壺の更衣が寵愛を受けたことに強く反発、光源氏、さらに生き写しとされる藤壺にも敵愾心を抱き、朱雀帝の妃と考えていた左大臣の娘葵の上、妹の朧月夜を光源氏に奪われたこともあり、左大臣派(光源氏)の政敵。

 

惟光(これみつ)

  大弐の乳母(光源氏の乳母)の子、長きに亙り光源氏の側近、後に参議まで出世する。男児(兵衛尉)は『少女』『梅枝』にて光源氏の子である夕霧に仕え、娘の藤典侍(とうのないしのすけ)は夕霧の側室となる(『藤裏葉』)。全編通じて「藤原」の姓の記載はないが、娘が「籐典侍」と「藤」(藤原氏を表わす)と記述されていることから、「藤原惟光(ふぢはらのこれみつ)」とされる。

 

三条(さんでう)の大宮(おほみや)

  桐壺帝と同腹の女三の宮、頭の中将と葵の上の母、光源氏と葵の上の子(夕霧)と内大臣(頭の中将)の娘(雲居の雁)の養母

 

末摘花(すゑつむはな)

  常陸宮という歴(れっき)とした貴族の娘、親戚に兄(僧侶)と叔母(国守の妻)がいるが、父亡き後一人頑固一徹古風な家風を継ぎ貧窮の中に暮らす。鼻が紅く「紅花」を意味する「末摘花」とあだ名され馬鹿にされ続けるが、光源氏は故常陸宮家の貧しさを思い、色恋抜きに援助する。須磨に都落ちした光源氏に忘れ去られていても、ひたすら待ち続け、後に光源氏から二条東院に引き取られ余生を過ごす。

 

朱雀帝(すざくのみかど)

  桐壺帝と弘徽殿の女御との子、第一皇子、光源氏の異母兄、桐壺帝の後、天皇となる。

 

玉鬘(たまかづら)

  頭の中将と夕顔との娘、夕顔の死去後、幼くして母とその夫(太宰少弐)に伴われて筑紫に下り、そこで成長、上京して初瀬の詣での際夕顔の侍女であった右京と再会、光源氏の世話を受け、光源氏からの求愛に戸惑い続け、後に髭黒の大将の妻となる。男子三人女子二人(男子(侍従の君)、大君(冷泉院の女御)、中君(今上帝の尚侍)など)を儲ける。

『夕顔』からその存在を記述され、光源氏の死去後も『竹河』に至るまで語られる人物。(紫式部が物語に張り巡らした伏線の妙を伝える人物とみる説あり)

  ※「たま」は接頭語、「かづら」は蔦などつる性植物の総称、和歌では枕詞、つる草のつるが切れずに長く延びることから、「遠長く」「絶えず」「絶ゆ」に掛かり、また、つる草の花、実から、「花」「実」にも掛かる。

 

頭の中将(とうのちゅうじゃう)

  重要人物、父は左大臣、母は三条の大君、葵の上の兄、光源氏の良き友、競い相手

  『夕顔』での官職が頭の中将であったが、「太政大臣(だいじやうだいじん)」となり、引退して「致仕(ちじ)の大臣(おとど)」と呼ばれる。

正妻は右大臣の四の君(弘徽殿の女御の妹、朧月夜の姉)、子どもは柏木、紅梅、弘徽殿の女御(冷泉帝の女御)、雲居の雁、玉鬘、近江の君など多数。

  ※頭の中将は、官職として近衛(このえ)の中将で「蔵人(くらうど)の頭(とう)」を兼ねている人のこと

 

中の君(なかのきみ)(宇治の)

  八の宮と北の方との娘、薫の大将の勧めで匂兵部卿の宮の妻となる。姉大君の死去後、薫の大将の求愛を避けるため異母妹の浮舟の存在を明かす。

 

匂の宮(にほふのみや)/匂兵部卿(にほふひやうぶきやう)

  今上帝と明石中宮(光源氏と明石の君との娘)との子

 

軒端の荻(のきばのおぎ) 

  空蟬の夫伊予之介の先妻の娘、空蝉と碁を打っているところを空蝉と間違えられて、夜、光源氏に襲われる。後に蔵人少将の妻となる(『夕顔』)

  ※「右近の将監(ぞう)」という兄がいる・・・新斎院(弘徽殿の女三の宮)の御禊(ごけい)の日に源氏の仮の随身となったときに右近の蔵人の将監、須磨退去の源氏に随行する。

 

八の宮(はちのみや)(宇治の)

  桐壺帝の第八皇子、政争激しき京を離れ、宇治に籠もる。出家を志しながら、北の方との娘二人(大君、中の君)を育て、行く末を心配しながら死去。愛人中将の君との間の娘に浮舟がいる。

 

花散里(はなちるさと)

  桐壺帝の麗景殿の女御の妹(女三の宮)、容姿、性格が描かれてないが、本文から気立ての良さが読み取れる。姉と共に光源氏の庇護を受け、二条東院から六条院(東北、夏の町)へ移り、夕霧12歳のとき、玉鬘21歳ときに養母となり、後に夕霧と藤典侍との子、次郎、三の君の世話も担う。

 

光源氏(ひかるげんじ)

  桐壺帝と桐壺の更衣との子(桐壺帝の第二皇子)、光り輝く美貌と才能に恵まれた貴公子、「光る君」と呼ばれる。藤壺、六条御息所、空蝉、夕顔、末摘花、朧月夜、花散里、明石の君、そのほか多くの女官と関係を持ちながら、近衛中将、大将、大納言、内大臣、太政大臣、准太上天皇と上り詰め、栄華の象徴「六条院」を造営、春の町(紫の上)夏の町(花散里)、秋の町(秋好中宮)冬の町(明石の君)を配し、さらに二条東院(空蝉、末摘花)を加えて、関与した女君の住居とした。最愛の紫の上の死後、出家(死去を暗示した『雲隠』は題名のみ残り本文なし)。嵯峨にて二、三年出家生活を過ごし死去(『宿木(やどりぎ』)。

 

髭黒の大将(ひげくろのだいしゃう)

  父は、右大臣であったとされ、妹は朱雀帝の承香殿(じょうきゃうでん)の女御(東宮、後の「今上帝」の母)、北の方は兵部卿の宮の娘(紫の上の異母姉)、子に真木柱と男子二人あり。他の求婚者を押し退け、玉鬘(頭の中将と夕顔との娘、光源氏が表向き養父)を妻にして、男子三人女子二人を儲ける。

「宇治十帖」の一部に、髭黒の大将の死去後、玉鬘と子供たちの話がある

  ※大将とは、官職として「近衛府(このゑふ)」の長官のことで、近衛兵を統轄する。左右の近衛に各一名、中納言、大納言が兼任したが、大臣、参議が兼ねる場合もある。

 

兵部卿の宮(ひゃうぶきゃうのみや)

  先帝の皇子、藤壺(中宮)の兄、紫の上の父、後に「式部卿の宮」となる。世間体を気にして都落ちした光源氏に冷淡であったことから、帰京した光源氏に疎まれる。

  ※兵部卿とは、官職としては「兵部省(しやう)」の長官のこと。正(しよう)四位の相当官、後に、親王を任ずるのが例となり(兵部卿の宮)、さらには大納言、中納言、参議が兼ねることになる。

 

藤壺(ふじつぼ)

  重要人物、先帝の后腹の女四の宮(第四皇女)、桐壺の更衣に似ているということから桐壺帝の後妻、同腹の兄に兵部卿の宮(紫の上の父)、異母妹に源氏の女御(朱雀帝の后、女三の宮の母)→光源氏との間に不義の子(後の冷泉帝)を産む→藤壺の中宮となる。37歳の厄年にて死去→光源氏が紫の上に興味を抱く(『若紫』)、紫の上に藤壺のことを話す(『朝顔』)、朱雀帝から女三の宮の降嫁の話を受け入れる(『若菜上』)など光源氏の生涯に影響を与え続ける。

 

螢兵部卿(ほたるひゃうぶきゃう)の宮

  桐壺帝の皇子、光源氏の異母弟、『花宴』で帥宮(そつのみや)として登場以来、風流人としてたびたび登場、『少女』で藤壺の兄兵部卿の宮が式部卿になり、その後を継いで兵部卿となる。『螢』に登場して螢兵部卿の宮、蛍宮(ほたるのみや)と呼ばれる。

 

真木柱(まきはしら)

  髭黒の大将と北の方(兵部卿の宮の娘)との娘、螢兵部卿の宮(桐壺帝の皇子、光源氏の異母弟)の後妻、蛍の宮死去後、紅梅大納言(柏木の弟)の後妻に。『真木柱』に初登場、真木柱という名は母が父と別れて家を出るときに詠んだ歌に由る。

 

紫の上(むらさきのうへ) 

  父は式部卿の宮(先帝の皇子、朝顔の君の父花園式部卿の宮の死去を受けて兵部卿から式部卿となる、藤壺の兄)、母は式部卿宮の正妻でない按察使大納言の娘、母が正妻でないゆえ、母方の祖母北山の尼君に養育され、10年ほど経ったときに、北山に病気療養に遣って来た光源氏に垣間見られる。藤壺の姪、光源氏は母の面影を追って藤壺を愛し、藤壺の面影を追って愛した人、藤壺のゆかりの人という意味合いの持つ「紫の上」、しかしながら、生涯ともに暮らしつつも、子を産むこともなく正式に「正妻」としての立場にはなかった。紫の上が死して初めて、光源氏はその存在の価値を見出す。

 

夕顔(ゆふがほ)

  重要人物、死去した後も物語の展開の一つの軸となる。父は三位の中将、頭の中将の愛人、娘(後の玉鬘)がいるが、光源氏と関係を持ち、六条御息所(ろくでふのみやすどころ)の生霊(いきりよう)に悩まされ、急死

  侍女に「右近」がいる。

  ※「右近」・・・母は夕顔の乳母、母と死別して夕顔の父三位中将が養父となる。夕顔死去の後、光源氏の侍女となり、後日初瀬に詣でに出向いた際に夕顔の娘(玉鬘)と偶然再会する。

 

夕霧(ゆふぎり)

   光源氏と葵の上との子、母亡き後、母方の祖母三条の大宮から内大臣(頭の中将)の娘雲居の雁と一緒に養育される。三条の大宮の後、花散里が養母に。雲居の雁を妻とするが、柏木(頭の中将の子)の死後、その妻落葉の宮(朱雀帝の第二皇女)に執着。籐の典侍(とうのないしのすけ)(光源氏の臣下藤原惟光の娘)との間に娘六の君(養母は落葉の宮、匂の宮の妻)。

『葵』から『蜻蛉』まで登場、中将、中納言、右大将、左大将、右大臣と昇格して『竹河』で左大臣に。

 

良清(よしきよ)

  『若紫』において「播磨守の子」と表記されて、早くも明石の方の存在を光源氏に告げる。『花宴』において光源氏の従者「良清」として現われ、後に、近江守兼左中弁まで出世する。姓の記述はないが、『明石』にて「源少納言」とされることから「源良清(みなもとのよしきよ)」とされる。

 

冷泉帝(れいぜいのみかど)

  表向きは桐壺帝の第十皇子、実は光源氏と藤壺中宮との不義の子、朱雀帝の後、天皇となる。

 

六条御息所(ろくでうのみやすんどころ)

  桐壺帝の弟である前東宮(前坊)の后、教養、知性あり、美しく気高く嫉妬深い。一人娘が朱雀帝時代伊勢神宮の斎宮になり、ともに伊勢へ、帰京して死去直前に娘を光源氏に託す。娘は後の冷泉帝の梅壷の女御、そして秋好中宮(あきこのむちゆうぐう)となる。

 

女三の宮(をんなさんのみや)

  朱雀帝の第三皇女、母は藤壺女御、母を亡くし後ろ盾を心配した父(退位して朱雀院)の勧めで光源氏に降嫁、光源氏が紫の上の看病に気を取られている間に柏木(致仕の大臣、元頭の中将の子)に強引に迫られ不義の子(後の薫の大将)を産む。罪に苛まれ若くして出家、光源氏死去の後、三条の宮で余生を過ごす。