<和歌>源氏物語和歌/現代口語訳全795首
第31帖『真木柱(まきばしら)』21首
407「おりたちて 汲みは見ねども 渡り川 人の瀬とはた 契らざりしを」(光源氏)
(降り立って水を汲む(立ち入った)関係はありませんが、川を渡るとき、人が立つ浅瀬とは(人の背に任せようと)お約束しなかったですよ)
※(わたり川)は、冥土に渡る三途の川のこと、初めて逢った男に背負われてこの川を渡るという俗信から
※「はた」は、副詞、下に打消の語を伴って、言うまでもなく、おそらく、決して、の意
◆I made no move myself to try the river, But I did not think to see you cross with another.
408「みつせ川 渡らぬさきに いかでなほ 涙の澪の 泡と消えなむ」(玉鬘)
(三途の川を渡らぬ前に、どうにかぜひとも、涙の雫の(流れに浮く)泡として消えてしまいたいものです)
※「なむ」は、願望の終助詞「なむ」、未然形接続
◆I wish I might vanish as foam on a river of tears. Before I come to the river Mitsuse.
409「心さへ 空に乱れし 雪もよに ひとり冴えつる 片敷の袖」(髭黒の大将)
(心まで空のように乱れた雪も降る夜に、独り寝の冷たい片敷きの袖でした)
※「雪もよに」は、雪の降る中に、の意、「雪も夜に」で雪の降る夜に、とする説あり
◆I lie in the cold embrace of my own sleeves.Turmoil in the skies and in my heart.
410「ひとりゐて 焦がるる胸の 苦しきに 思ひあまれる 炎とぞ見し」(木工の君)
((北の方が)ひとり邸に取り残されて思い焦がれる胸の苦しさに、思い余るほどの炎とお見うけします)
※「木工(もく)の君」・・・髭黒の侍女。中将御許と同じく髭黒の召人
◆Alone with thoughts which are too much for her, She has let unquenchable embers do their work.
411「憂きことを 思ひ騒げば さまざまに くゆる煙ぞ いとど立ちそふ」(髭黒の大将)
(厭なことに心を騒がすと(北の方と連れ添ったことが)いろいろことにくすぶる煙がいっそう立ち上ってくる(後悔される))
◆These dread events so fill me with rage and regret That I too choke from the fumes that rise within me.
412「今はとて 宿かれぬとも 馴れ来つる 真木の柱は われを忘るな」(髭黒の大将の娘)
(今でもこの家を離れない(今はもうこの家を離れてしまう)といっても、日頃慣れてきた真木の柱は私のことを忘れないでおくれ)
※「真木」は、杉、檜などの良材をいう歌語。この歌により子の姫君を真木柱(まきばしら)と呼ぶ。
※「真木柱」は、将来、蛍宮(桐壺帝の皇子、光源氏の異母弟、後に兵部卿の宮)の北方となり、蛍宮の死後、紅梅大納言(柏木の弟)と再婚
※「とて」は、格助詞「と」+接続助詞「て」、下に打消や反語の表現を伴って、逆接の関係で下に続ける。~だからと言って、の意。
※「かる」は、「離(か)る」、自動詞ラ行下二段活用 れ/れ/る/るる/るれ/れよ、疎遠になる、離れる、の意、「ぬ」は、打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」、未然形接続
◆And now I leave this house behind forever. Do not forget me, friendly cypress pillar.
413「馴れきとは 思ひ出づとも 何により 立ちとまるべき 真木の柱ぞ」(北の方)
(馴れ親しんだことは(真木の柱は)思い出してくれるとしても、(私たちが)何でこの邸にとどまれるのがよいとする真木の柱となりましょうか)
※「べき」は、意志(~しよう)、適当(~するのがよい)の助動詞
◆Even if it wishes to be friends, We may not stay behind at this cypress pillar.
414「浅けれど 石間の水は 澄み果てて 宿もる君や かけ離るべき」(中将の御許)
(浅いけれども石の間に溜まった水(あなた、木の君)は、今も澄んで(住んで)いるのに、邸を護るはずのお方(奥様)が離れて行かれる(出ていらっしゃる)などありましょうか)
※「中将の御許(おもと)」・・・髭黒の女房で木工の君とともに髭黒の召人、北の方と一緒に式部卿の宮に引き取られる
※「や」は、反語の係助詞、~でしょうか、いや~ではない、の意
※「べき」は、当然の助動詞、~のはずである、の意、終止形接続
◆The waters, though shallow, remain among the rocks, And gone is the image of one who would stay beside them.
415「ともかくも 岩間の水の 結ぼほれ かけとむべくも 思ほえぬ世を」(木工の君)
(なんとも申しようもなく、岩間の水(私)は気が塞いでいて、引き留めるものがあるとも思えぬ環境でございますよ)
◆The water among the rocks has clouded over, I do not think my shadow long will linger.
416「深山木に 羽うち交はし ゐる鳥の またなくねたき 春にもあるかな」(兵部卿の宮)
(奥山の木に羽を打ち交わしてとまっている鳥が、またとなく妬ましい春ということですね)
◆You fly off wing to wing through mountain forests, And in this nest of mine it is lonely spring.
417「などてかく 灰あひがたき 紫を 心に深く 思ひそめけむ」(冷泉帝)
(なぜこうも逢いがたい灰合いの紫服の人(玉鬘)を、心に深く思うようになったのであろう)
※「紫」は、三位の服色、「灰合い」は、紫に染めるとき媒染財として椿の灰を用いるところから。この歌から、玉鬘が三位に叙せられたことが分かる。
※「けむ」は、過去の推量の助動詞、~したのであろう、の意、連用形接続
◆Why should I be drawn to lavender So utterly remote and uncongenial?
418「いかならむ 色とも知らぬ 紫を 心してこそ 人は染めけれ」(玉鬘)
(どのような色(お気持ち)とも存じませんでした紫(私)を、意識して人は染めていたのでございますね(深い思いからでございましたのね))
※「けれ」は、詠嘆の助動詞「けり」(ラ変型活用)の已然形、~であったそうである、の意、連用形接続
◆I know not the meaning of this lavender, Though finding in it marks of august grace.
419「九重に 霞隔てば 梅の花 ただ香ばかりも 匂ひ来じとや」(冷泉帝)
(幾重にも(宮中にも)霞が隔てたならば、梅の花は、ただ香りだけでも匂って来ないのでしょうか)
◆Invisible beyond the ninefold mists, May not the plum blossom leave its scent behind?
420「香ばかりは 風にもつてよ 花の枝に 立ち並ぶべき 匂ひなくとも」(玉鬘)
(香ばかりは風にことづけて(運ばせて)ください、美しく咲く花の枝(後宮の方々)と並ぶべく匂いもない(私なの)ですけれども)
※「伝(つ)て」は、名詞、人づて、もののついで、の意
◆I count not myself among the finer branches, Yet hope that the fragrance may float upon the breeze.
421「かきたれて のどけきころの 春雨に ふるさと人を いかに偲ぶや」(光源氏)
(しとしと降ってのどかな時期の春雨に、昔なじみの人をどのように偲んでくださいますか)
※「掻き垂る」は、本来、激しく降るの意、「ふるさと人」は、玉鬘のもとにいた六条の院の光源氏のこと
◆A quiet night in spring. It rains and rains. Do your thoughts retum to the village you left behind?
422「眺めする 軒の雫に 袖ぬれて うたかた人を 偲ばざらめや」(玉鬘)
(物思いに耽り雨の降る軒の雫に(悲しみの涙に)袖を濡らして、この場にいない人のことを偲ばないことがありましょうか)
※「眺む」は、(物思いにふけりながら)ぼんやりと見やる、の意。「うたかた人」は、光源氏のこと、「泡沫(うたかた)の」は、枕詞、「うたかた(=水のあわ)」が水面に浮かぶところから、「浮き」及び同音の「憂き」に、また、消えやすいところから、「消ゆ」に掛かる。
※「め」は、推量(~であろう)、意志(~しよう)の助動詞「む」の已然形、未然形接続
◆It rains and rains. My sleeves have no time to dry. Of forgetfulness there comes not the tiniest drop.
423「思はずに 井手の中道 隔つとも 言はでぞ恋ふる 山吹の花」(光源氏)
(思いかけず、出手の中道に隔たれて(二人の仲は裂かれて)いるけれども、口に出さないで恋慕っている山吹の花があります)
※「井出の中道」は山吹の名所、「で」は打消しの接続助詞、未然形接続
◆The yamabuki wears the hue of silence, So sudden was the parting at Ide road.
424「同じ巣に かへりしかひの 見えぬかな いかなる人か 手ににぎるらむ」(光源氏)
(同じ巣で孵った甲斐もなく、(雛の姿が)見えません、いったいどのような人が手に握っているのでしょうか)
◆I saw the duckling hatch and disappear. Sadly I ask who may have taken it.
425「巣隠れて 数にもあらぬ かりの子を いづ方にかは 取り隠すべき」(髭黒の大将)
(巣に隠れ住んで、お子の数にも入らぬかりそめの子をどちらに隠れ住まわせるべきでしょうか)
◆Off in a corner not counted among the nestlings, It was hidden by no one. It merely picked up and left.
426「沖つ舟 よるべ波路に 漂はば 棹さし寄らむ 泊り教へよ 」(近江の君)
(沖の舟が身を寄せる潮路が定まらず漂っているのであれば、(こちらから)棹差して寄ったらよい泊り場所を教えてください)
※「沖つ舟」は、夕霧のこと、「む」は、適当の助動詞「む」、~するのが良い、の意
◆If you're a little boat with nowhere to go, Just tell me where you're tied. I'll row out and meet you.
427「よるべなみ 風の騒がす 舟人も 思はぬ方に 磯伝ひせず」(夕霧)
(寄せる所もなく風が波を荒立てるときの舟人も、思いもしない方に磯伝いすることはありません)
◆Not even a boatman driven off course by the winds Would wish to make for so untamed a shore.