<和歌>源氏物語和歌/現代口語訳全795首
第13帖『明石(あかし)』30首
218「浦風や いかに吹くらむ 思ひやる 袖うち濡らし 波間なきころ」(紫の上)
(須磨の浦風はどんなに激しく吹いているでしょう、遙かに案じている袖を濡らして波間がない(涙が絶え間がない)今頃は)
◆What do they work, the sea winds down at Suma? At home, my sleeves are assaulted by wave after wave.
219「海にます 神の助けに かからずは 潮の八百会(やほあひ)に さすらへなまし」(光源氏)
(もし、海にいらっしゃる神の助けにすがらなければ、潮流の数多く集まる海に漂っていたでしょうに)
※「な」は、詠嘆の終助詞、~であるなあ、の意、体言、連体形接続、文末
※「まし」は、反実仮想の助動詞、もし~であったら~であろうに、の意、未然形接続
◆Without the staying hand of the king of the sea The roar of the eight hundred waves would have taken us under.
220「遥かにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦伝ひして」(光源氏)
(遥かに(あなたに)思いを馳せているのですよ、見も知らぬ所であった(須磨の)浦から、なお遠い(明石の)浦に浦伝いに移って)
◆Yet farther away, upon the beach at Akashi, My thoughts of a distant city, and of you.
221「あはと見る 淡路の島の あはれさへ 残るくまなく 澄める夜の月」(光源氏)
(あれはと目の前に望まれる淡路の島の寂しい情景さえ(私の故郷への思いだけでなく)残る隈なく照らす今宵の月であることだ)
◆Awaji in the moonlight, like distant foam: From these cloudly sovereign heights it seems so near.
222「一人寝は 君も知りぬや つれづれと 思ひ明かしの浦 さびしさを」(明石の入道)
(独り寝のつらさはあなたもお分かりになったでしょうか、いろいろ思いながら夜明かしする明石の浦の寂しさを(なすこともなく思いあかす私の娘のわびしさを))
※「明石の入道」・・・父は、桐壺の更衣の父按察使の大納言と兄弟、須磨に隠遁していた光源氏を明石に迎え、娘の結婚に導く。娘(明石の君)、孫(明石の姫君)、妻(明石の尼君)を京に送り、一人残る。
◆Do you too know the sadness of the nights On the shore of Akashi with only thoughts for companions?
223「旅衣 うら悲しさに 明かしかね 草の枕は 夢も結ばず」(光源氏)
(旅衣を着る悲しさに夜を明かしかねて、旅寝では安らかな夢を見ることもできません)
◆The traveler passes fretful nights at Akashi. The grass which he reaps for his pillow reaps no dreams.
224「をちこちも 知らぬ雲居に 眺めわび かすめし宿の 梢をぞ訪ふ」(光源氏)
( どちらとも分からない旅の空を眺めていられず、ほのめかされた宿(明石の入道の)の梢を(目指して)お訪ねするのです)
※ここの「詫(わ)ぶ」は、補助動詞 バ行上二段活用、び/び/ぶ/ぶる/ぶれ/びよ、~しづらくなる、しかねる、しきしれない、連用形接続
◆Do I catch, as I gaze into unresponsive skies, A glimpse of a grove of which I have had certain tidings?
225「眺むらむ 同じ雲居を 眺むるは 思ひも同じ 思ひなるらむ」(明石の入道)
(眺めるであろう同じ空を眺めるのは、(娘の)思いも同じ思いなのでしょう)
◆She gazes into the skies into which you gaze. May they bring your thoughts and hers into some accord.
226「いぶせくも 心にものを 悩むかな やよやいかにと 問ふ人もなみ」(光源氏)
(気分も晴れず、物思いに悩んでいます、やあ、いかがですかと尋ねてくれる人もなくて)
※「いぶせし」は、気が晴れない、気掛かりである、の意
※「やよ」は、感動詞、やあと呼び掛けるときに発する言葉、「やや」と意味、用法ほぼ同じ、さらに強めて「やよや」がある
※「無(な)み」・・・形容詞「無し」の語幹に接尾語「み」、原因・理由(「名詞+を」を伴う場合が多い)、内容(「思ふ」を続けて)、状態、繰り返し(「~み~み」の形で)の意を表わす
◆Unwillingly reticent about my sorrows I still must be―for no one makes inquiry.
227「思ふらむ 心のほどや やよいかに まだ見ぬ人の 聞きか悩まむ」(明石の君)
(お思いくださるお心のほどは、さてどれくらい深くいらっしゃるのでしょうか、まだご覧になっていらっしゃらない人の噂だけでお悩みになるものでしょうか)
※「明石の君」・・・明石の入道の一人娘、明石の姫君(後の今上帝の后明石の中宮)の母、後に「明石の上」として六条院冬の町に住む
◆Unwillingly reticent―how can it be so? How can you sorrow for someone you have not met?
228「秋の夜の 月毛の駒よ 我が恋ふる 雲居を翔れ 時の間も見む」(光源氏)
(秋の夜、月毛の馬よ、私が恋い慕っている空を駆けておくれ、ほんのつかの間でも(恋しい人の姿を)見ようものを)
※「秋の夜」は月毛というための序
※「月毛」は鴇の羽のような赤味のある毛色の馬のこと
◆Race on through the moonlit sky. O roan-colored horse. And let me be briefly with her for whom I long.
229「むつごとを 語りあはせむ 人もがな 憂き世の夢も なかば覚むやと」(光源氏)
(閨(ねや)の言葉を交わし合える人がいてほしいのです、憂き世の悲しい夢も半ばは覚めようかと思いまして)
※「むつごと」「夢」は縁語
※「がな」は、願望の終助詞、~してほしい、~があればなあ、の意、体言、連用形、一部の助詞に接続
◆Would there were someone with whom I might share my thoughts And so dispel some part of these sad dreams.
230「明けぬ夜に やがて惑へる 心には いづれを夢と わきて語らむ」(明石の君)
(明けることのない夜そのままを迷える吾が身には、どれを夢と分けて語れましょう)
◆You speak to one for whom the night has no end. How can she tell the dreaming from the waking?
231「しほしほと まづぞ泣かるる かりそめの みるめは海人の すさびなれども」(光源氏)
(しっとり涙に濡れて、まず(あなたのことを思って)泣けますかりそめの訪問は、海人の気休めなのですけれども)
※「海松布(みるめ)」は食用とする海藻、和歌では「見る目」(男女が逢ふこと)に掛けること多し
◆It was but the fisherman's brush with the salty sea pine Followed by a tide of tears of longing.
232「うらなくも 思ひけるかな 契りしを 松より波は 越えじものぞと」(紫の上)
(何の疑いもなく信じておりました、お約束したことには松山を波は越えることはないと)
※心変わりはしないという愛の誓いの歌、「待つ」「松」を掛ける
※「松」は「末の松山」を指す
☞「君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 浪も越えなむ」(古今東歌)
◆Naive of me, perhaps; yet we did make our vows. And now see the waves that wash the Mountain of Waiting!
233「このたびは 立ち別るとも 藻塩焼く 煙は同じ 方になびかむ」(光源氏)
(今回はお別れすることになっても、藻塩を焼く煙のように同じ方向に靡(なび)くようにいたしましょう)
◆Even though we now must part for a time, The smoke from these briny fires will follow me.
234「かきつめて 海人(あま)のたく藻の 思ひにも 今はかひなき 恨みだにせじ」(明石の君)
(海人がかき集めて焼く藻塩の火のように思いも多くございますが、今はかいのないお恨みいたしますまい)
◆Smoldering thoughts like the sea grass burned on these shores. And what good now to ask for anything more?
235「なほざりに 頼め置くめる 一ことを 尽きせぬ音にや かけて偲ばむ」(明石の君)
(本気でなく頼りに思わせでいるように思える、その一言を、尽きぬ琴の音に思いを入れて(いつまでも声を上げて泣きながら)偲んでおりましょう)
※「頼め」は、頼りに思わせること、期待させること
※「めり」は、~のようである、ように見える、の意、推量の助動詞、終止形およびラ変の連体形接続
◆One heedless word, one koto, to set me at rest. In the sound of it the sound of my weeping, forever.
236「逢ふまでの かたみに契る 中の緒の 調べはことに 変はらざらなむ」(光源氏)
(また逢う日までの形見の品にと約束する琴の中の緒の調子(私たちの仲)は、特に変わることなくあってほしいものです)
※「なむ」は、願望の終助詞、~してほしい、の意、未然形接続
◆Do not change the middle string* of this koto, Unchanging I shall be till we meet again.
237「うち捨てて 立つも悲しき 浦波の 名残いかにと 思ひやるかな」(光源氏)
( 残してこの浦を立ち去るのも悲しい明石の浦の波(あなた)のその後はどうなるのやらと気に掛けるのですよ)
◆Sad the retreating waves at leaving this shore. Sad I am for you, remaining after.
238「年経つる 苫屋も荒れて 憂き波の 返る方にや 身をたぐへまし」(明石の君)
(年月の経つ苫屋も荒れて恨めしい波の返すほうへ身を寄り添わせましょうか)
※「類(たぐ)ふ」は、他動詞ハ行下二段活用、へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、寄り添わせる、連れ添わせる、の意
※「まし」は、ためらいの意志の助動詞、~しようかしら、の意、未然形接続
◆You leave, my reed-roofed hut will fall to ruin. Would that I might go out with these waves.
239「寄る波に 立ちかさねたる 旅衣 しほどけしとや 人の厭はむ」(明石の君)
(寄せる波(と一緒)に、裁てて用意した旅衣は(私の涙で)しとど濡れているとあなたさまはお厭いでしょうか)
※「寄る波に」は、「立ち重ね(裁ち重ね)」の「裁(た)ち」を導く序詞
※「しほどけし」は「潮どく」で、涙に濡れるの意
◆I made it for you, but the surging brine has wet it. And might you find it unpleasant and cast it off?
240「かたみにぞ 換ふべかりける 逢ふことの 日数隔てむ 中の衣を」(光源氏)
(形見として互いに取り換えるべきでした、また逢うまでの日数を隔てるでしょう中の衣を)
※「中の衣」は上着と下着の間に着る衣のこと、この言葉は男女の仲を隔てるという意に用いられることが多い
◆Take it, this middle robe, let it be the symbol Of days uncounted but few between now and then.
241「世をうみに ここらしほじむ 身となりて なほこの岸を えこそ離れね」(明石の入道)
(世間がいやになって、長年この海辺に暮らす身の上となりましても、やはりこの岸(この世への執着)を離れられません)
※「倦(う)む」は、自動詞マ行四段活用、いやになる、飽きる、の意、「潮染(しほじ)む」は、自動詞マ行四段活用、潮水や潮気にしみ染まる(海辺の生活が長く、それに慣れる)、の意
※「え」は、副詞、〔下に打消の語や反語表現を伴って〕とても…できない、という形を作る
※「えこそ離れね」は、副詞「え」+係助詞「こそ」+動詞「離る」(ラ行下二段活用)の未然形「離れ」+「打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」
◆Though weary of life, seasoned by salty winds, I am not able to leave this shore behind.
242「都出でし 春の嘆きに 劣らめや 年経る浦を 別れぬる秋」(光源氏)
(都を出た春の嘆きに劣るであろうか、何年も経ち(住みなれた)明石の浦と別れてしまう秋(の悲しみ)は)
◆I wept upon leaving the city in the spring. I weep in the autumn on leaving this home by the sea.
243「わたつ海に しなえうらぶれ 蛭の児の 脚立たざりし 年は経にけり」(光源氏)
(海辺でしおれて、悲しみに沈みながら、蛭の子のように足が立たず(動けない)年月を過ごしました)
※「わたつ海(うみ)」は、「わたつみ(海神)」の「「海(わた)」がもともと海の意、「つ」は「の」の意の上代の格助詞、「わたつみ(海の神)」の「み」が「海」と意識されて、「海(うみ)」の意に変わり、さらに「う」が挿入されてできた語
※「萎(しな)ゆ」は、自動詞や行下二餡活用え/え/ゆ/ゆる/ゆれ/えよ、萎れる、元気を失う、の意、「うらぶる」は、自動詞ラ行下二段活用 れ/れ/る/るる/るれ/れよ、わびしく思う、悲しみに沈む、の意
※「蛭の児(ひるのこ)」は、
☞『日本書紀』神代紀に拠れば、「蛭児(ひるこ)」と表記され、伊邪那岐、伊邪那美の子の内、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月夜見尊(つくよみのみこと)の次の子三歳まで足が立たず天磐櫲樟船(あめのいわくすふね、堅固な楠で作った船)に乗せて海に流したという。蛭子が流れ着いたとする伝説は全国各地にあり。
☞『古事記』に拠れば、「水蛭子(ひるこ)」、国産みの際、女神伊邪那美命から先に男神伊邪那岐命に声を掛けたことから不具の子が生まれたとされ、葦船に乗せ淤能碁呂島(おのごろじま)から流した。流された理由は、「わが生める子良くあらず」との記述のみで不明。
◆Cast out upon the sea. I passed the years As useless as the leech child of the gods.
244「宮柱 めぐりあひける 時しあれば 別れし春の 恨み残すな」(朱雀帝)
(宮中にて再会の時があったのであるから、別れた春の恨みは忘れてほしいものです)
※「宮柱」は、「めぐりあふ」の序詞
※「し」は、強意の副助詞、体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞に接続、「係助詞」「間投助詞」とする説あり。中古以降、「しも」「しぞ」「しか」「しこそ」など係助詞を伴った形で用いられること多く、現代では「ただし」「必ずしも」「果てしない」など、慣用化した語の中に見られる。
☞「名にし負はば いざ言問(ことと)はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」<古今和歌集 羇旅>(在原業平《伊勢物語九》)
(「都」という言葉を名として持っているのなら、さあ、都のことを尋ねよう。都鳥よ。私の恋しく思っているあの人は健在かどうかと。)
◆The leech child's parents met beyond the pillar. We meet again to forget the spring of parting.
245「嘆きつつ 明石の浦に 朝霧の 立つやと人を 思ひやるかな」(光源氏)
(嘆きながら(夜を明かす)明石の浦には、(嘆きの息が)朝霧となって立つのか(立っているのであろうか)とあなたのことを思いやられます)
◆I wonder, do the morning mists yet rise, There at Akashi of the lonely nights?
246「須磨の浦に 心を寄せし 舟人の やがて朽たせる 袖を見せばや」(五節の君)
(須磨の浦で心をお寄せた船人が、あのまま(涙で)朽ちさせてしまった袖をお見せしたいものです)
※「ばや」は、希望の終助詞、未然形接続、~したいものである、の意
◆There once came tidings from a boat at Suma, From one who now might show You sodden sleeves.
247「かへりては かことやせまし 寄せたりし 名残に袖の 干がたかりしを」(光源氏)
(かえって恨み言を言いたいところです、涙に濡れたわたしの袖が乾きにくかったのですから)
※「かへりて」は、却って、逆に、の意
※「かことやせまし」は、「かこと」+「や」+「せ」+「まし」
「かこと」または「託言(かごと)」は、言い訳、不平、恨みごと、の意
「や」は係助詞
「せ」は、「為(す)」(他動詞サ行変格活用 せ/し/す/する/すれ/せよ)の未然形、行なう、の意
「まし」は、「まし」(反実仮想の助動詞、未然形接続、もし~であたら~であろうに、の意)の連体形(係助詞「や」を受けて)
※「寄す」は、他動詞サ行下二段活用 せ/せ/す/する/すれ/せよ、近づける、相手に送る、心を寄せる、の意、
◆It is I, not you, from whom the complaints should come. My sleeves have refused to dry since last you wrote.