晴れ着(画像:ウェブより拾ひて借用、他意あらず)

 

 箸は、倭(やまと)の國の文化の象徴であり、倭人の自然の恵みに対する畏敬の念、感謝の念を示す道具であること、めでたく新たなる年を迎へたることを機に

思ひ起こしいただきたく存じます。

 

 もうかなり前のことになりますけれども、平成26年(西洋歴2014年)、和食が UNESCO(国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されたかとで一時話題となりたること、ありました。

 

 和食は、

(1)時候に合わせて旬で地方色豊かな食材

(2)良質な蛋白質を含む魚を中心とした健康的な素材

(3)食器、盛り付けなどで表わす美しい季節感

(4)年間行事と直結して地域社会を維持する事に貢献する食習慣

という要素から構成される食文化として高い評価を受けたとされております。

 

 食するとは、ただ、がつがつ食べれば良いというものではありませんよね。

 食べるという行為には、その場を楽しむために(不快にさせないために)礼儀や作法が要ることになります。

 それは、同席する人たちへの建前ではありません。命を戴くという謙虚な気持ちの表われとしてです。この気持ちの一つとして、和食の基本には、箸を持つという作法が含まれているわけなのですす。

 

 そうであるにもかかわらず、箸を正しく持てない日本人のなんと多いことでしょうか。

 「がつがつ喰うのがなぜ悪い」としか言えぬ程度の日本人が、礼儀・作法を重んじて、ともに楽しくあるべき社会をぶち壊して、平気な顔をしているのですよ。

 テレビに出演する料理人でさえ、箸の持ち方など細かいことなど気に掛けず和食を堪能して欲しいとかおしゃっていますよね。本当にこの人、料理修行をなさったのでしょうか。その無責任さが、日本人が代々積み上げてきた叡智の塊である文化を破壊していることに気がついていないのです。命を粗末にしていることに気がついていないのです。

 (このような態度が、子どもたちが他人を苛めて死に追いやってもまったく他人事と思っている姿に投影しているのです。お気づきですか。)

 

 箸を正しく扱うということは、食べ物を細かく切ったり摘まんだり挟んだりして食べるという実用的な面で大切であるばかりではありません。精神文化として、自然の恵みに対する畏敬の念・感謝の念を表わすことに繋がっているのです。

 

 言い換えれば、人間が生き永らえるために自然で育まれた命を頂戴するために、人間の食卓に命を捧げてくれる動物・植物への感謝の念を表わすことなのです。

 箸を正しく持ち、命を戴くということは、日本人の命への優しさなのです。ほかの生き物の命を無視・軽視して、己(おのれ)の命などあり得ません。

 

 「箸置きに置かれた箸は右手(右利きならば)で持ち上げ、両手で横にして受け、一本を右手の親指と薬指でと固定し、もう一本を動かす箸として人差し指と中指と親指とで持つ。

 上側に位置する動かす方の箸は、鉛筆の持ち方と基本と基本的に同じ。」

 「箸を置くときには、一旦左手を添えて右手を持ち替え、二本揃えて箸置きに置く。」

 

 これは、日本人の心の証(あかし)である命への祈りの作法にほかなりません。

  余計なお世話と知りつつも、老婆心ながら・・・

 

<箸の持ち方>

人差し指と親指とは少し位置をずらし、少し隙間を開ける。

(写真の例では、位置が揃っていて隙間がない。これも可。)

硬い物を切る時には、中指を上側の箸の上側に添える事もある。

 

<鉛筆の持ち方>

人差し指と親指とは少し位置をずらし、少し隙間を開ける。