今日はビアー◯パパの日。
シュークリームが割安らしい。
8月6〜7日
感謝感謝の2日間でした。
ありがとうございました!
ちょびっとモヤモヤブース、
ちょびっとお勉強、
時々お茶して、
ほとんどおしゃべり。
私にとっては
病気というより
命を考える
そんな2日間でした。
こころのケアとか
いのちのケアとか
がんと災害とか
ホスピタリティとか
臨床試験とか
免疫療法とか。
濃い。
じつに濃ゆい。
モヤモヤブースでは、たくさんの方々にお会いできた嬉しさの一方で、おひとりおひとりとゆっくりお話しできなかったことが残念で残念でなりません。
気づけぬ不手際で
ありがとうの数と同じだけの
ごめんなさいも
あったかもしれません。
足を運んでくださった方、
お話できた方、できなかった方
差し入れご持参いただいた方、
不手際を暖かく流してくださった方、
ありがとうございました!!
またすぐに
あの場所でお会いできることを
楽しみにしております!!!
のポーズではない。
埼玉ポーズ。
イメージこばとん。
浸透するか⁈
さて、2日間のことを全部書こうと思ったら長くなるので、抜粋して2つだけ。
①夫は褒めて育てよう
病気というよりもはや
人生の先輩のお言葉。
男は鈍感。
男は単純。
言わなきゃわかってもらえない。
たくさんほめて
楽しく育てて
家事をラクしよう!
(↑意訳しております)
でもメンドクサイんです~~!
②いのちのケア
サブタイトル
「余命とどう向き合うか」
このプログラムを聴講された方々は賛否両論ハッキリわかれるのではないだろうか。と感じました。
以下は私の個人的な感想で、どちらかといえば「賛」の立場です。
話が難しすぎて、
特に私の苦手な算数、
統計とか臨床の歴史のそれ。
途中で退室される方の
気配も感じました。
その気持ちは
わからなくもない。
プログラムとは
一見ちがう話だからね。
でも、
私はなんとなく、
なんとなくだけど、
「存在すること」
どんな状況であっても、変わりなくそこに立つことで、伝わることは必ずある
一般的に語られる「余命」そもそもが、臨床試験の結果の生存中央値。
最長値ではない。
「その時」は誰にもわからないんだよ、ってことを「言葉少々、なるべく態度で」、
違った角度から伝えたかったんじゃあないのかなぁ?と感じました。
人間死亡率100パー。
サバイバーが
そこに立っていることに
意味がある。
私の感想なんて
そんなもんです。
「お寺でがんカフェ」での伊藤先生のご指摘通り、語尾に「?」をつけて答えをグレーにしながら考え聞きました。伊藤先生ありがとう。
そんなわけで、たとえ近々魂のお引越し予定の人の尊い話だとしても、難しいものは難しいし、私が算数が苦手なことに変わりはないので、
ごめんなさい。
わたし、
うたた寝しました。
たぶんそれでいいのよね。
いいの?
※あくまでも私の好意的な、超個人的感想です。