スピリチュアルとは…、「精神的な」「霊的な」「魂に関する」「自身の内なる感覚・直感と深く向き合い、心の安らぎや人生の意味を見出すこと全般を指す」。
哲学とは…、「常識や前提を疑い、論理的な思考を通じて真理に迫ろうとする知的実践を指す」。
私にとったら、スピリチュアルは、哲学だ。
哲学なら良しとし、スピリチュアルを小馬鹿にする人も居る。
スピリチュアルを馬鹿にする人は、そもそも、感じ取る力が乏しいだけで、仕方ない。感じないんだから。その段階に来ていない。
哲学を小難しい、屁理屈だと言う人も居るだろう。
哲学もスピリチュアルも、自己に一切目を向けていない人は、理解し難いものだと思う。
なので、蔑んだ言葉をかけられても「そうか…あなたはまだ、その地点なのね」と、納得し、「手放す」。
ヨガを学び、自己愛ワークにも取り組み、大概、この「手放し」が簡単に出来るようになって来てると思う。
割と簡単な「手放し」。
対人なしの「手放し」で言うと…、「明日、晴れて欲しいな」翌日、雨。→「わー、雨かぁ。まぁでも、最近乾燥してたもんな、肌も草木も潤うわー」という「手放し」。
前述した、目に見えないものについて語るスピリチュアルな話をした時に、嫌悪感バリバリの人もいる→もう、それ以上その話はしない「手放し」。
対人なし、関係性が薄い人間関係の中での「手放し」は、意識をしたら、割と簡単に取り組める。
そして、「手放し」が出来た時、もしくは、振り返りで「お!出来てる、私」と意識してみると、次から取り組みやすくなるのと、見えないものが見えて来たりする。(スピリチュアルな話笑)
関係性が深くなって来た時、
「私の言ってることを理解して欲しい」
「こうして欲しい」
「喜んで欲しい」
とか色々、「欲」が出て来る。
愛しいあの人達…、恋人、夫婦、子供、両親。
「愛してるって言って欲しい」
「美味しいって言って欲しい」
「いい成績を取って欲しい」
「塩分控えて欲しい」
大切な相手を想う気持ちと、ポジティブな欲。
軽いポジティブな欲は、人生を豊かにするスパイスになるので、有りだと考える。
軽く思ってて、すぐに手放しが出来るなら良いのだけど、
「なんで愛してるって言ってくれないの?」
「なんで美味しいって言ってくれないの?」
「なんで今回のテスト、点数悪いの?」
「お医者さんにダメって言われたのに、また、塩辛いご飯食べてる!なんで??」
それって、自分自身の中にある「欲」が増幅しちゃってる。
増幅した「欲」は、「支配」「執着」「自己嫌悪」などを産む。
そして、結果、
「苦しくなる」=「ストレスになる」。
つまりは、人生、ストレスレスで生きたいならば、「手放し」をやっていくのが一番の近道なのだ。
その「手放し」は、心からニッコリ笑って行うもの。
「なんだコイツ?」と思っていたら、それは、「苦しみ」になる。
心からニッコリ笑っての「手放し」が出来る様に、「鍛錬」するのがヨガなのだ。
これってスピリチュアルの話?
哲学の話?
愛しいあの人に、なんて言えば、聞く耳持ってくれるかな?
いやいや、聞く耳持たない人には、話す必要ないよ、という「手放し」。
身近で、大切な人がいる時でも、そんな時こそ、「手放し」を試される瞬間なんだろうな。
自身の成長の可能性を与えてくれることに、感謝して、思い切り執着してる自分に気付いたら、面白おかしく笑って流して、手放していきたい。
