日本の政治が安定しない理由は、政党の数や政策の違いにあるのではない。根底には、言葉の空洞化と、それを助長する報道構造、そして有権者の判断力の揺らぎがある。野党は分裂を繰り返し、新興政党がなりふり構わず議員数を伸ばそうとする。理念や責任よりも、目先の影響力を優先するその姿勢は、政権交代の可能性を制度的に閉ざすだけでなく、政治そのものを「消費型の娯楽」に変えてしまっている。

 比較的新しい政党の選挙演説は、怒りや耳障りの良い言葉で満たされ、構造的な提案や倫理的な一貫性を欠く。マスコミは、極端な発言やパフォーマンスを面白がって取り上げ、政党の実務能力や理念の違いを伝える努力を怠る。有権者はその報道にさらされ、錯覚に導かれて投票してしまう。SNSでは切り抜き動画が拡散され、情報は断片化し、判断は感情に流される。

 こうした状況下で、政党が自ら変わることを期待するのは現実的ではない。むしろ、国民が「見抜く力」を持ち、無責任で能力のない政党に議席を与えないことが最も重要であり、安定した二大政党制に向けて日本の政治を成熟させていかなければいけない。自民党に懐柔されてくっつき、気づいては離れ・・・、の繰り返しでは、いつまでも日本の政治は不安定で、首相もころころと変わり、世界的な信用も得られない。そうなると外交面でも不利となってくる。下に見られて他国からの要求が大きくなっていくし、国際社会での発言力も損なわれる。くだらない国だと思われ、武力で攻めやすくなる可能性も出てくる。 

 政治の不安定が繰り返されるのは、制度の不備だけでなく、情報収集能力も含め国民の判断力が低下し、マスコミが一部の政党のパフォーマンスばかりを面白がって取り上げる構造が続いているからである(党の宣伝効果)。政権を担う責任も能力もまだ備えていない新興政党が、耳障りの良い言葉や極端な主張で注目を集め、議席を伸ばす。そのたびに期待が裏切られ、野党は分裂し、与党との懐柔と離反が繰り返される。こうした状況では、成熟した二大政党制はいつまで経っても築かれず、日本の政治は不安定なままである。

 だからこそ、私たちは選挙のたびに語られる言葉の中身を見極め、過去の政党の振る舞いを記憶にとどめ、同じ過ちを繰り返さないようにしなければならない。安定した政治のためには、国民一人ひとりが「聞く力」と「見抜く力」を持って投票することが何よりも重要である。