ヤフーニュースを見ていたら、次のような記事が目に入った。

「玉木氏は15日夜の緊急ライブ配信で「二枚舌みたいな感じで扱われて残念」「3党党首会談は何だったんだ。自民とやるなら、最初から言ってよ」と発言。「公党間の話なので、出し抜いたり、だましたりするのはやめた方がいい」とも述べた。これに対し、吉村氏は翌16日の会見で「他党を批判するより、自党の政策実現に注力された方がいい」と反論。「少なくとも我々は難しい判断を、腹を決めて進めている」と、玉木氏の姿勢を暗に批判した。」

 

 この報道を見て、まず思ったのは「物は言いよう。」ということだ。玉木氏の「二枚舌」という表現は、維新の行動を的確に捉えている。三党による党首会談の直後に自民党との連携を進めるという維新の動きは、事前に他党へ説明すべきだった。理由がどうであれ、維新がその説明を省いたという事実は残る。もし自民党と組む意向があったなら、立憲民主党や国民民主党にその旨を伝え、三者会談を延期するなど誠実な対応が求められたはずだ。協力するふりをしてすり合わせに参加しておきながら、その前に自民と手を組んでいたとは、普通の日本人なら出来ないことである。あなたが維新の立場だったら、今回の維新のような振る舞いができたであろうか。

 吉村氏の「他党を批判するより、自党の政策実現に注力された方がいい」という発言には二つの問題がある。第一に、「批判するより」という言い方は、批判そのものを否定するような響きがある。だが、政治において批判は不可欠だ。他党の行動に問題があると感じたならば、それを指摘するのは当然の責任である。批判を封じるような言説は、「黙っていろ」「文句を言うな」と言っているようで、中国政府の言論統制を連想させる。自らの行動に対する正当な疑義を「批判するな」と切り捨てる姿勢には、誠実さを欠いた印象を受ける。

 第二に、「自党の政策に注力せよ」という言葉も不可解だ。他党の代表に対して「自党のことに集中せよ」と言うのは、まるで他党の方針や優先順位に口を出しているようであり、政治的な越権とも取れる。そもそも、玉木氏は維新の行動に対して説明責任を求めただけであり、自党の政策を疎かにしているわけではない。吉村氏のこの発言は、論理的にも筋が通っておらず、相手の正当な問いかけを煙に巻こうとしているように見える。

 さらに問題なのは、報道の表現だ。「タラタラと恨み節」と書かれていたが、実際の玉木氏の映像はそれでも維新に気を使いながら維新の行動を遠慮がちに解説していたものであり、長々と話していたわけでも、感情的に恨み言を述べていたわけでもない。むしろ「少し残念」と思いやりを込めて語っていた。この記事は、玉木氏を悪者に見せるための印象操作であり、事実を歪めている。記者は面白おかしく国民をあおるように書いたのかもしれないが、もはやそのような時代ではない。玉木氏や国民民主党に対して失礼であり、報道の責任も問われる。

 吉村氏は「少なくとも我々は難しい判断を、腹を決めて進めている」とも述べたが、この言葉も、維新の行動が「二枚舌」であったという事実を覆すものにはならない。政治家というものは、不適切な行動が明るみに出ると、「一生懸命やってきたことだけは理解してほしい」と言いがちだが、重要なのは努力の有無ではなく、結果と行動の妥当性である。努力していれば何をしても許されるという論理は成り立たない。むしろ、結果が適切であれば、努力の量は問われない。高市氏が「ライフワークバランスを捨てる」、「みんなには馬車馬のように働いてもらう」と語っていたが、私の経験上、努力を前面に押し出す人ほど能力が伴わず、結果が出ないと自暴自棄になって不正を始める傾向があるように感じる。

 今回の件を通じて改めて感じたのは、政治家の発言や報道の言葉が、あまりにも不正確で不適切なまま流通してしまっているということだ。それが今の日本社会では、ある種「自然なこと」として受け入れられてしまっている。けれども、本来、言葉はもっとまっとうであるべきだ。誠実に、正確に、適切に話すこと。事実を丁寧に伝えること。それが政治にも報道にも、そして私たちの社会全体にも必要なのではないか。言ったもの勝ちのような、子どもの喧嘩であってはならない。

 だからこそ、こうした言葉の使われ方に違和感を覚えたとき、それをそのまま流すのではなく、立ち止まって考え、皆で確認し改めていくことが大切だと思う。私たち一人ひとりが、言葉の意味と責任をもう一度見つめ直すこと。それが、社会を少しずつ健全な方向へと戻していく力になるのではないだろうか。政治家でもマスコミ(司会者やコメンテーター)でもタレント弁護士でも、そして国民でも、言ったもの勝ち、やったもの勝ちであっては、あとは誹謗中傷合戦、戦いや事件、という世界に入っていくだろう。

 政治家の中では最も信頼できそうな維新の両代表であったが、自身の人を見る目のなさに愕然とした。彼ら二人の演技力や開き直って豹変する姿にぞっとした。オオカミ少年ではないが、今後は彼らが何を言っても何をやっても、私は心から信じることができない。残念である。