国民は、自民党のエネルギー政策や防衛政策に反対して議席を減らしたのではない。本質はそこではない。国民が突きつけた「ノー」は、長年にわたって温存されてきた政治の腐敗構造そのものに向けられている。企業・団体からの寄付行為、派閥による利権分配、不祥事に対する無責任な態度——これらは、政策以前の「政治の土台」であり、国民はその土台を拒絶したのだ。

 にもかかわらず、野党は「是々非々」の名のもとに、自民党の政策に部分的に協力している。経済、外交、防衛——確かにそれぞれに重要な課題がある。しかし、その協力は結果として、自民党の腐敗構造を延命させる装置となっている。国民が拒絶した「前提」を変えずに、政治が進められてしまう。これは協力ではない。共犯である。

 マスコミもまた、この構造に加担している。政権運営の安定ばかりを報じ、政治の根本的な病理には踏み込まない。国民もまた、「議席を減らせば変わる」という幻想に囚われている。だが、変わらない。変わるはずがない。なぜなら、政治の土台がそのままだからだ。

 そろそろ国民は目を覚ましたほうがよい。野党は「協力」の意味を問い直し、自民党の腐敗構造に対して明確な拒絶を示したほうがよい。マスコミは、表層の政策ではなく、制度の深層に光を当てたほうがよい。全体が自民党の罠に引っかかり、錯覚に陥っている。

 政治とは、政策の選択ではない。どのような前提のもとに政治が行われるか——その土台こそが問われている。国民や野党、マスコミが本当に変化を望むならば、「前提の温存」に加担するすべての構造に、明確な拒絶を突きつけなければならない。