猛暑日が続く七月、八月に、35度を超える炎天下で高校野球を行うのは、もはや教育の問題を超えて、命の危機に直結する重大な問題だ。極限状態の中でのプレーは、本人の意思によらず、実質的に強制されていると言ってよい。倒れ、命を落とす者が出なければ改善されないという社会の鈍さが問われる。大人の都合や習慣の影で、子ども達の命が置き去りにされていることに、気づかなければならない。
大会の開催時期を、気候が穏やかな5月や11月に移すことは、技術的にも制度的にも不可能ではないはずである。子ども達の健康と安全を第一に考える姿勢が大切だ。誰かの命を削ってまで守るべき都合や伝統など存在しない。