中居氏問題で、当日被害者女性を誘ったのはフジテレビのA氏ではなく中居氏本人だったと文春が訂正した。それについてフジテレビの情報番組では、「根底からくつがえる・・・」と言った旨の発言をして態度を一変させていたが、根底の問題は被害者女性が中居氏の自宅へ一人で行かなければいけないような精神状態に追い込んでいったのはフジテレビ(A氏)なのか、それとも彼女が本心から中居氏に会いたくて一人で行ってしまったのかということである。最後に誘った人が誰かは本質的な問題ではない。当日の状況をおぜん立てし、(電話番号の交換などで)仕組んでいった人に真の原因があるだろう。

 橋下弁護士がいろいろ動いたようだが、そんなにいきり立つ話ではない。文春は、訂正文こそあげていないが、当日に被害者女性を誘ったのはA氏ではないことを早い段階(1月8日以降)で記事にしていた。だから、ほとんどの人は知っていたはずである。私のような一般人でさえ早い段階で、「誘ったのは中居氏だったか」とわかっていたことだ。それに政治家などとは異なり、週刊誌レベルでは新しい事実がわかれば記事の内容を変えたり付け加えたりしていくだろう。いちいち訂正文などあげる必要もない。ましてや、「文春は謝罪記者会見をやれ」とか「文春を訴える」などと言った話は、A氏側の人間が言っていることに過ぎないと私は思う。

 橋下氏は、自分の思いを抑えたり変えたりすることができず、自分を絶対的な神だと思い込んでいるように私には見える。国民の目には、どのようにうっているのだろうか。「日枝氏は記者会見に出る必要はない」という彼の主張は、長年現場で感じてきた多くのフジテレビ局員による日枝氏出席要求やスポンサー企業の撤退、40年間にわたる独裁運営(ひずみ)、国民の思いなど、多くの大きな要素を無視した、現実から乖離した主張であった。日枝氏が出席して、常識的なことを話せば、フジテレビ局員やスポンサー、そして世論の思いも変わった可能性がある。

 橋下氏の主張の内容そのものも私はいつも変に思うが、その論理展開も無茶苦茶に見える。例えば「日枝氏が出席するなら他の取締役十人以上もみんな出席しなければおかしい」とも橋下氏は主張していた。しかし、幹部以外のフジテレビ局員やスポンサー、国民は、日枝氏が「取締役」だから出席を求めていたのではなく、40年以上にわたってフジテレビの根幹、社風、慣習を作ってきた人物だから出席を求めていたのである。論理のすり替え、詭弁も甚だしい。そして決定的なのが、彼は自分の考えたことを唯一の正論として、頑として他人に押し付けつづける点である。テレビ番組で、彼が他の異なる意見を聞いて、自分の意見を変えた場面を1度も見たことがない。一度口にしたことは、どんなことがあっても変えることは無い。だから、いろいろな当事者(被害者側)や専門家などに対しても非現実的な机上の空論、こじつけ、蓋然性の低い例外的なことを言い続けて口喧嘩になってしまう。彼が一般人であればどうでもよいのだが、公共の電波を使って世論形成をしていく役割を担う人物(コメンテーター?)として妥当なのか、見るたびに疑問を感じるのである。

 フジテレビ(A氏)が、中居氏について被害者女性にどのようなことを刷り込んでいったのか(例えば「今後の仕事のために中居氏によくしていたほうがいい」のようなこと)、あるいは中居氏についてフジテレビ(A氏)は被害者女性に何も言っていなかったのか、第三者委員会の詳細な調査を待ちたい。しかしフジテレビ局員は、幹部やA氏、女子アナたちは、都合の悪いことも正直に話すとは思えない。やはり女性が中居氏やフジテレビ(A氏とA氏・中居氏を守り続けた会社)を告訴して、強制力のある警察が捜査をしたほうがベストだと思う。それに、第三者委員会が最終報告をしても、フジテレビにお世話になっている攻撃的な橋下氏や古市氏などが報告書への非難を繰り返し(非難する理由はいろいろあるのだが)、何が正しかったのかがうやむやにされ、テレビ局が本質的には何も変わらないまま先に進む感じがしてならない。

 テレビ局、芸能人、コメンテーター。既存のこの3者をいったん壊し、しがらみや癒着、関係性、陰で続く不適切行為(ハラスメントやコンプラ違反等)や違法行為(強制キス等)も消滅させ、全て新しい人材、新しいルール、新しい方針のもとで0からスタートしなければ、メディアの根本的な改革はできないと思う。しかし改革をやるとしたら上からの指導や命令ではなく、改革をやるのは政治改革同様に本人達となる。ここにも大きな矛盾がある。