日本人は、なぜ昭和や令和の天皇に親しみを持ち、敬い、お言葉をありがたく賜ってきたのだろうか。
次の天皇がいくらトンボを調べていても、それは天皇の役割に資するものではない。天皇は国民統合の象徴である以上、建前上は最も優れた人格者(できれば幅広い知識があり、客観的思考と判断力が優れている者、偏差値の低い人や貧困層の人々、現在戦地で戦っている兵士たちの気持ちがわかる人など)でなければいけない。だから、そのようになるための努力だけは最優先でおこなう責任があるだろう。他に人格的・能力的に優れた人がたくさんいるのに、その人々に劣る人が日本国民の象徴となるようなことになったとしたら、それは不適切なことであり、本人にとっても国民にとってもつらいことになる。悠仁さまには、他にやらなければいけなことがたくさんまっている。
近年の歴代天皇も、何かについて研究なされてきた。しかし、それを第一の目的として行動されることは無かった。現在の天皇も、水上交通や水をめぐる環境・衛生問題についてご研究されているが、その研究を進めるために学習院大学やオックスフォード大学を選んだのではない。さらに徳仁天皇について言えば、発展途上国の水不足問題についてお考えになる研究は、世界平和を願い希望される天皇の仕事に直接的に役に立つことである。
本人にとっては不本意なことかもしれないが、悠仁さまの将来は決められている。もちろん他の道を行く選択肢もある。それを決めるのはご両親でも政治家でも国民でもなく、自由に本人に任せたいと私は強く思っている。ただし二兎追うことだけは、私は賛成できない。このままいき、悠仁さまが天皇になった場合、お言葉が国民の心に届き響くのか、国賓や世界に影響を与えられる存在になりうるのか、とても心配なのである。
秋篠宮さまはご自身の希望を話されることが多いが、秋篠宮さまの強い思いがお子様たちや国民に与えている影響は小さくないように感じられる。自分のことよりも他人のことを大切に考えることが、集団の中で生活したり人の上に立ったりする上で最も重要なことであろう。