北野武氏は、映画監督や大学教授、俳優、現代アート、コメンテーターなど、様々な分野で活躍をしている。それらの分野の才能は、いか程なのだろうか。人気があるからといっても、人気というのはテレビ局の方針一つで決まるので、人気と才能は比例するわけではない。全く面白くなく、世間からも受け入れられず、テレビにずっと出られなかったお笑い芸人が、突然多くの番組に出るようになり、司会をやったり冠番組をやったりしているというケースは非常に多い。

 話を戻すと、北野氏の映画は最初日本では認められず、海外の映画祭で賞を取ってから、テレビ局の力で「世界の北野」というキャッチフレーズのもとで監督としての人気が作り上げられていった。なぜ彼の映画は海外で評価を得たかというと、日本人の感覚や性格、習慣や庶民文化が表れた彼の作品が海外の人から見るととても新鮮で、素晴らしく見えたのだろう。「彼」ではなく「日本の異質さ」に新鮮さを感じ、魅了されたのだと私は個人的に評価している。だから日本人から見ると彼の作品は普通の映像作品でしかなく、海外の有名な賞を取ったあとから、彼の作品は「素晴らしいのだろう」となった。彼は日本の過去の作品を参考にしたり一流の俳優を採用して本人に演技を任せたりしている。映画監督としての才能は、どうなのだろうか。

 大学教授としての学生への指導では、裏話などではなく、映像作品制作における専門的な指導が行われていたのだろうか。

 俳優としての演技力は、昨日もドラマに出ていたが個人的には不自然で表現力も豊かではないように感じられる。少なくとも、彼以外の日本の全ての俳優と比較すると、違いは皆が感じるのではないだろうか。

 現代アートは、海外での映画祭の時に並行して彼の作った造形物が現地で展示されるが、率直な個人的感想は、地方の小さな秘宝館にあるような作品のように見えた。現地の外国人も、映画監督の北野氏が作ったものだからということで、じっくりと見ていた。このような状況を見ると、本当に悲しくなってくる。北野氏本人も現地の市民もみんなわかっているのに、偽善的な表現をせざるを得ない。つらいだろうと思う。

 彼は、自身のお笑いや監督業、演技力について、たまにボソッと本音を言うことがある。普通は隠すと思うのだが、正直に話す。誠実でとてもいい人なのだろう。彼は自分や周りのことがよく見えており、賢い。だから、コメンテーターとしての意見にも客観性もあり、弁護士コメンテーター達とは一線を画している。

 彼こそ、テレビ局の力を最大限に生かして駆けのぼった時代の寵児である。それも一つの才能であろう。