昨日、ラグビーの日本代表対オールブラックスの試合が、日本テレビで放送された。見てみたら、ジャニタレ(「ジャニタレ」とは、旧ジャニーズ事務所がテレビ局へのおどし営業で売り出してきた喜多川氏の遺物タレント)の櫻井翔氏がゲストとして出演していた。「えっ、なんで?」と一瞬驚いた。なぜラグビーの知識も興味もない人が突然出ているのか、違和感でいっぱいだった。実際、「がんばってほしいですね」などの誰でもが言うような一般的な感想か、カンペの音読のみだった。

 今日の夜は、日テレで選挙速報番組があるようだが、CMを見るとこれまた櫻井翔氏が出演するようだ。なぜ選挙や政治の知識も日常的な関りもない人が出ているのか、これまた違和感でいっぱいだ。2人でやるようだが、1人はアナウンサーで進行役なのはわかる。櫻井氏の存在意義はなんなのだろうか。カンペを読むならアナウンサーのほうが自然で聞きやすい。視聴者全員が思うような当たり前の感想なら、あらためて聞きたくない。

 彼にあるのは知識や興味ではなく、日テレとの癒着関係だけであろう。そうでなければ、これほど番組の内容に無関係でコメントも平凡すぎて面白くない彼が優遇されるのはおかしい。なぜ日テレ以外のマスコミは、この不公平、不公正な日テレの営業方針を非難しないのだろうか。非難しないということは、認めるということである。やはりマスコミは「赤信号、みんなで・・・」なのか。すべてのマスコミが、ジャニタレ問題の時に第三者委員会による調査から逃げ、反省を拒んだことが、マスコミの不公平・不公正な体質を温存する結果となっているのだと思う。日テレは、なぜ有働由美子氏が愛想をつかして去ったのか、少しは考えてもらいたいものである。マスコミは彼の父親が怖いのだろうか。ジャニタレ問題の自主検証で忖度をやめることにしたのではなかったのか。だから加害者側の自主検証など意味がないのである。全く反省できていないのである。