兵庫県知事が質問を受け、核心部分や重要な部分になると、「わからないけど、○○(自己中や思い込みの主張の繰り返し)」、「知らないけど、○○」と言ってとぼけてしまう(例えば、「道義的責任がわかりませんが、ー自己中の主張ー」等)。わかっているし、知ってもいるのであるが、相手の話や自分にとって不利な事実を認めないために、幼稚で陳腐な手段を使っているのであろう。
これは、この知事に限ったことではなく、官僚や県職員などが日常的に使う手法である。やる気や能力ゆえに、そうやることが楽で便利なのだろう。この2つの言葉さえ使っていれば、理由なく話を堂々巡りに持ち込める。相手方は、「わからないけど、・・・」と繰り返され、本当にわからないのかと真に受けてもう一度丁寧に説明してもて、再び「わからないけど・・・」「しらないけど・・・」と言われ、相手が「わかった」と話すことは無い。馬鹿げている。話し合いや仕事の目的を間違っている。