自民党総裁選や立憲民主党代表選において、立候補者がやりたいことを話している。
政策の発表内容や討論内容は、実効性において保証されるのだろうか。それとも言いたい放題、言ったもの勝ちなのだろうか。
立候補者が、選挙前に国民や国にとって悪いことを言うわけがない。どれでもいいから、やってくれるといい。
重要なことは、実際にやるか、実際にできるかということであろう。誰が総裁になっても、権力や金を欲しがる派閥や多くの議員たちが足を引っ張る。そのような人たちがいる限り、いくら派閥を解消しても裏金の問題を解決しても、別の方法で目的を達成しよう(権力や金を得よう)としてくるだろう。きりがない。
だから、国政選挙の投票が最重要なのである。国民は選挙活動の際に、立候補者から満面の笑みを見せられて「いい人」と思い込まされ、汗をかきながら走って握手をして回る姿を見せられて「頑張って誠実な人」と思い込まされ、実効性において何の担保も保証もない当たり前の理想論を聞かされて「素晴らしいことをやってくれる人」と思い込まされ、ここぞとばかりに保育園にいって赤ちゃんを抱っこしている姿などを見せられて「優しく庶民的な人」と思い込まされ、その結果国民はところてんのように投票所にいってその人に投票する。国政選挙は、私には国を挙げての壮大な洗脳イベントに見えてしまう。そうして当選した人達が、国の運命や国民の生活と命を握るが公約が守れるわけもなく、権力と金に猛進する。それらを隠したり成立させたりするために、不正や嘘、詭弁、証拠隠し、責任逃れが始まる。これの繰り返しである。政治におけるすべてのしくみを変えたい。