静岡福祉大の小田部氏は、「将来の天皇に求められるものは「徳」であり、「学歴」ではない」と指摘する。
私も、教科を必死に学ぶよりもボランティア活動や福祉活動、ボーイスカウト活動、社会常識、道徳的な心情や判断力、一般市民の生活実態(非正規雇用や年金生活の実態、社会保障等)、海外情勢などといった教科以外の体験や学習が求められると思う。
教科のみの東大出身者(18歳まで多くのことを犠牲にして教科学習に時間を費やしてきた人)に、「〇〇することを希望します」と言われても、国民は「そうしよう」などとは思わない。ましてや、そのような人のために命をかけて戦うなどありえない。信頼とは、人格や人間性によって得られるものであり、決して教科による高い偏差値で得られるものではない。
人間性を豊かに育てるために、やはり学習院大学が最適だと私は思う。皇室の方々の教育に関しては、経験と伝統がある。秋篠宮家のお二人を見てもわかる通り、ICUなど東大以外でも高偏差値大学はいけない。家族の段階で難しいのに、国をまとめることができるはずもない。ICUにさえいかなければ、お二人の性格や人生も違ったものになったことだろう。
「あのような立派な人になりたい」、「言った通りにしよう」と国民が思うようになるためには、どうすればよいのか、どこの大学で学ぶのがよいのか、よく考えていただきたい。東大生のような人格(多様な経験や幅広い知識を犠牲にしてできあがった人格)、官僚のような人格では、あのようになりたいとだれも思わないし、言うことも聞いてくれないだろう。
天皇とは、自由にふるまえない大変なお立場だと思う。もし思ったように生きていきたいのであれば皇室を離れるしかないが、それでは実力のみで行きたい大学を目指すことになるし、その後の人生はさらに厳しいものになる。自分しかなれない環境に感謝し、それにふさわしい人物になるためにはどこで何を学ぶのが最適か、適切な判断に期待したい。