自民党総裁選に立候補している人達の主張を聞いていると、2つの共通した特徴があることに気づく。
1つは、ある政策を推進したい理由として良い面だけを話し、大きな負の面はあえて話さない。
もう1つは、司会者等にこれまでの自分の不適切な行動について指摘をされると、不適切なことをやった自己理由を話し正当化しようとする。「それがよくなかったのでは」と司会者に繰り返し質問されると、同じことを何度でも繰り返し答え続ける。会話が成立しないようにして、自己の不適切な行動の謝罪を防いでいる。見ていて、幼稚で恥ずかしい。
このような能力、このような性格の人を、私は信用できない。というか、目の前で現在ごまかしているのだから、信用する人はおかしいだろう。国や国民の生活、命をあずけられない(戦争に参加し最後は徴兵制にする。もちろん議員は戦争には行かない)。
これは、総裁選立候補者だからというわけではなく、ほとんどすべての政治家は、このような言動をする(長年、国会議員の言動やそれを支持する投票行動などを見てきての評価)。先輩の背中を見て学ぶしかないから、仕方のないことである。では、だれに国や国民の生活を任せられるのか。信頼できて総理の能力がある人はいるが、如何せん、このような国会議員たちから支持を得られないと総裁になれない仕組みになっている。うまくできている。首相だけは国民による直接選挙にするという方法も考えられるが、それだと地元の人間関係やマスメディアのあおり攻撃(人気投票化する)で国民は投票してしまい、適切な人が首相にならない可能性も十分にある。つまり、このまま今まで通りにやるしかないということなのだろう。すべてを壊す突然変異的な総理が誕生するのは、いつになるだろうか。
短期的には、首相になってから、唯一の(最大)派閥の長である麻生氏に何か強く依頼されても、しっかりと断われる人が自民党総裁にいいだろう(選挙まではねこをかぶっていても)。