日本テレビの24時間テレビが始まった。最初から、児童養護施設で育ったやす子氏の葛藤などを長々とやっていた。

 私は、とくに養護施設について何も思うところがなく、そこで育った子ども達のこともなんとも思ったことがなかったのだが、今日の24時間テレビを見て、「養護施設で育った子供は可哀そうな子ども達なんだなあ」、「子ども達はつらい思いをしているんだなあ」、「なんか特別な所なんだなあ」という感想を持った。また、今後児童養護施設で育った大人と接する場合でも、遠慮というか、はれ物に触るようになってしまい、関係がギクシャクしてしまいそうである。悪気がなくても相手が気に障るようなことを言って迷惑をかけてしまう可能性もあるので、友達にはならないほうが無難ではあるなとも思った。素朴に率直に思った。24時間テレビを見るのではなかった。

 小・中学生や若者の中には、この番組を見て、児童養護施設で育った子供は一般の子ども達とは何か違う子どもたちなんだと理解し、いじめをする(からかいや喧嘩をした時に養護施設に関する悪口をいう)人も大勢出てしまうと私は思う。いまどき、親のいない子どもなんてたくさんいる。親がいないからといって不幸とか、かわいそうということはないと私は思っている。施設にいる時や施設を出て社会で働くようになってから、自分が幸せかどうかは自分の心が決めるのである。

「養護施設=かわいそう、大変な所」という誤った一方的な概念を植え付けるような番組は、テレビ局以外の誰にとってもプラスにならない(誤った偏見を国民に定着させたり、いじめや差別が起きて加害者と被害者をつくったり等)。

 少し話の趣旨から逸れるが、「差別」の始まりはエセ差別反対論者が無意識のうちに作ってしまっている場合がとても多いと思う。アメリカにおける黒人差別もそうである。アメリカでは、学校やマスコミが「黒人差別はいけない」と繰り返し言うから、「差別の対象なんだ」(あるいは、「差別の対象だったんだ」)と認識し、差別が生まれるのである。日本では、学校でもマスコミでも、あえて「黒人差別はいけない」と教えたりしないので(当たり前のことだから)、基本的には黒人に対して差別意識がない(テレビでアメリカの情報などを何度も見聞きした人には差別意識は生まれるだろうが)。「赤ちゃんは、蛇を怖がらない」のである。ケースは違うが、日本テレビも無自覚のうちに、養護施設への偏見を生むような番組作りをしていないだろうか。もちろん、そう思わない人も多いだろうが、もし数十万人、数百万人単位で偏見を持つ人を生み出す可能性があるのであれば、やはり不適切な番組内容と言わざるを得ない。正義や道徳が広がるのは、不可能か非常に時間がかかるのだが、(たとえ数十万人であったとしても)悪が広がるのはあっという間なのである。

 日本テレビは、あえて何かわだかまりのあるやす子氏の負のケースのみを取り上げ、児童養護施設で楽しく幸せに育ち、社会に出てから立派に仕事をしている多くの人々を同じ分量だけ紹介しなかったのは、公平・公正の点から誤りだったと思う。新たないじめを生み(主に小中学生)、国民の心の奥底に「かわいそう、自分達とは違うんだ」という意識(これはとっさの時に差別として逆に表現される)を植え付けた日本テレビは、いったいどうするのだろう。もう消すことはできない。