パリ五輪では、不公平と思われる審判や運営方法が多かった。

 一番は、柔道団体の最終戦の決め方であろう。お笑い番組でよく見るようなルーレットで決められていた。どのような機械を使い、だれがどのタイミングで止めているのかは全くわからない仕組みだった。例えば、サッカーの初めに審判が両キャプテンを近くに呼び、目の前でコインを上に投げ、裏表で陣地や先攻を決めているが、両キャプテンを呼ばずに審判が控室などでコイントスをし、決まった結果だけを後で両キャプテンに伝えるようなことは決してしない。不正が行われるのを防ぐためだ。万が一そのようなことをやったら、「目の前でやれ」、「誰が信用できるか」と猛批判を浴びてしまうだろう。しかし、それを柔道団体の優勝が決まる最終戦で行われてしまった。口で「ルーレットは公平でした」と言っただけで済むようなら、今後は全ての競技においてコイントスやくじ引きをやめればよい。必ず不正や嘘が生じるから、選手や観客などの目の前でコイントスをやっているのである。

 あとは、日本選手のメダル有力候補が、クライミングで壁についた1つ目のホールドが高くてスタートすらできず、世界から「いじめだ」との批判が集まっているが、いじめではないという反論も見られる。私は、選手がスタートすらできないルール、あるいはルール変更は限度を超えたものであり、人種差別だと考える。冬夏関係なく、オリンピックや世界大会において、日本が勝ち続けている競技においてはルール変更が行われ、欧米選手が有利になるように改変されてきた歴史がある。クライミングだけは別という考えは不合理である。クライミングでの健全なルール変更を望むが、それは世界のスポーツ界においては不可能なことなのだろうか。

 旧シンクロもルール変更に関する問題で、日本選手たちは試合後も愕然としていた。運営責任者や審判、ルールを決めるお偉いさんたち、そして一般国民の応援など、海外の人たちはやることに恥や限度というものがないと、特にオリンピックを見ているといつも強く感じるのである。