オリンピックは、国の順位を決める大会である。表彰式で、国歌が流れ、勝った順に高さを変えて国旗が掲揚されるのを見るとわかる。決して選手個人の名前が書かれた看板などが掲揚されるわけではない。

 気持ちとしては、国のために戦うというより、個人同士が戦って誰が世界で一番強いかを競い合う大会がよいと思う。しかし、それでは応援や表彰式、開会式、放送などをはじめ、大会全体が盛り上がらない。メダルは誰が作ってくれるのだろうという話にもなる。国同士のパワーのぶつかり合いにすれば、演出的には最高に盛り上がる。大会費用も国やスポンサーが出してくれる。

 そこで、国同士の戦いにし、戦ってくれた個人には謝礼としてメダルをあげるという形をとっている。選手もメダルが欲しいのであれば、大義などはこの際何でもよい。

 長崎平和記念式典には、原爆を落としたアメリカの大使や日本を除く先進6か国の大使は参加しなかった。本音では平和がいいのか、それとも(外交や原爆で)相手に勝ちたいのか。もしかしたら、本人たちもはざまで混乱しており、時々に合わせて使い分けているのかもしれない。

 世の中の現象は、矛盾で成り立っていることがけっこうある。本質や重要なことには目をつぶりながら、ベターなバランスをとっている。多様性がもてはやされる今後、このような事はますます多くなりそうだ。