夏の甲子園が、今年も始まった。
甲子園と聞くと、まず頭に浮かぶのが、昨年の決勝戦で見られた慶応の異様な応援団である。一般の観客の中には、OBも含めた慶応義塾の大応援団の人数や声の音量などに怖さを感じたと話す人もいた。選手同士の声掛けやベンチからの伝令なども聞こえない程だったという。対戦校にとっては、完全アウェイ状態である。気になり委縮し恐怖を感じ、思う存分力を発揮できなかったであろう。努力がこんな形でムダにされ、対戦校は悔しかったと思う。このような、国民や同グループの仲間が組織的に、相手に圧をかけて力を発揮させないようにして勝ち上がる戦法は、中国だけでよいだろう。日本の、しかも子ども達の大会でやることではない。
教育的に、とてもよくなかった。勝つためには(法律やきまりの範囲内で)手段を選ばないことが重要だということを、子ども達(慶応義塾やそれを客観的に見ていた全国の子ども達)は知り、学んだ。公平や思いやりといった道徳的視点が欠けていると言わざるを得ない。快感を実際に味わってしまった慶応義塾の子どもたちは、どのような大人になっていくのだろう。残念としか言いようがない。
慶応義塾は小学校から大学院まであるマンモス校であり、歴史もあるためにOBの数やその関係者なども含めると半端な数ではない。対策として、応援団席は2か所あるのだと思うが、どちらの面積も同じにするということもできるだろう。田舎の小さな高校ではそこを埋めることさえできないかもしれないが、その時はその高校を応援したい他校の生徒や一般の人でも入れて応援に参加できるようにすればよい。
大人たちが行う商業主義のオリンピックなどとは違うのだから、教育の場としての高校野球大会大会では、出場したすべての子ども達に平等な環境を与えなければいけない。勝つことが優先順位の1位ではないはずだ。