高校野球の西東京大会は、早稲田実業が優勝した。

 負けた日大三高の約半分の選手は号泣していた。びっくりするほど大泣きしていた。

 パリ五輪の女子柔道で負けた阿部詩選手も負けて号泣していた。

 なぜ負けて泣くのだろうか。全力で練習に取り組み、全力で試合に臨んで負けたのであれば悔しさや後悔などはなく、「全力でやったけど勝てなかった。しかたがない」、「自分が弱かった。強い者が勝つんだ」と、すがすがしささえ覚えるのではないだろうか。

 負けた選手が泣くということは、練習や試合で、もっと頑張ったり、相手を科学的に研究したり、あらゆる場面を想定して対応する訓練を繰りかえしたり、セルフコントロールをもっと鍛えたりなど、もっともっとできる(頑張れる)余地があって後悔しているということなのだろうか。

 そうであれば、「ふざけるな!4年前から120%の力で練習や研究・分析や精神的訓練をし、本番では150パーセントの力で臨め!」と、私などは思うのだが。

 オリンピックは参加することに意義があるのではない。選手たちはお祭りを楽しむためにパリまで来たのではない。日本国民(ひいては国民がこう思うように仕向けてきたマスコミ)は、思い違いをしている。