橋下徹氏が、都知事選について語った京大教授について、「なんで学者ってこうも偉そうなんや」と語った。

「学者」という職業の人が偉そうなのではなく、この京大教授個人が偉そうだったのだろう。言い方が不適切で不正確だ。「韓国人をひとくくりにして・・・(韓国人全体を誹謗中傷するのはやめろ)」と桜井誠氏に抗議したのは、彼自身だったはずだ。

 あまたいるコメンテーターやテレビに出てくる弁護士、医者、政治家、解説委員、芸能人などの中で、最も偉そうにしているのが橋下氏だと私には見えるが、皆さんはどう感じているだろうか。

 人でも国でも、他を攻撃ばかりしている人や国は、自分のことが見えないものである。自分が考えたことだけは絶対に正しいこととし、異なる意見を仮に良いと思ったとしても認めることはできないのだろう(詭弁を用いたり論点をずらしてでも、とりあえず反対していく)。

 だから、話し合い(討論、議論など)などにおいては、その大前提として最低限「話し合う目的の確認とその実行の確約」をしなければ、建設的な視点のやり取りや改善、ベターを目指す練りあい収束はなく、自分の考えや願望を相手に認めさせることだけに全精力を傾けるというただのむなしい口喧嘩に終わる。今のテレビやSNSでの話し合いのほとんどはこれである。そして、「討論」とか「論破」などと呼んで、かっこうをつけ自己満足している。馬鹿じゃないかと思う。第三者の視聴者側から見ていると「無知は恥」だと思うが、公共の電波を使って不特定多数に対し、無責任に不適切なことや時には嘘、蓋然性の低い枝葉の揚げ足取りなどを広めてばかりいると、「無知は罪」ともなりかねない。