先日、地震発生後に気象庁の会見があった。その中で、「低まる」という言葉を使って説明していた。半世紀以上生きてきて、初めて耳にする言葉に大きな違和感を感じるとともに、日本語の奥深さに衝撃を受けた。死ぬまでに日本語を全てマスターすることなどできなのだろう。確かに広辞苑の厚さを目にすると、その中の言葉全てを聞いたことがあるとも思えない。

 それにしても、「低まる」という言葉を聞いた時のあの異様な感じ、気持ち悪さは相当なものだった。そして、今後死ぬまでの数十年間にも他の人から聞くことはない言葉であろう。安倍元総理が好んで一人で使っていた「胸襟を開いて」、「成長の果実」などといった言葉に通じるものがある。

 他意がなければ、日常誰も全く使わないような言葉をあえて使う必要はないだろう。単純に、気持ち悪さだけが残る。