能登半島で地震が発生した直後、輪島市の住宅に空き巣に入り、盗みを働いた名古屋市の10代の男女3人が逮捕された。
みんなが困っている遠くの被災地にわざわざ行き泥棒をするなど、数十年前には考えられなかったことだ。そのような人が日本でも見られるようになったのは、何が原因なのだろうか。
このようなことができない人は、脅されてもできない。あなたもそうであろう。正義感や助け合い、法秩序の尊重など、道徳心が育てられ身についているからである。抵抗なく困っている人から盗むなど、普通の精神や性格ではできないことだ。義務教育において道徳心が育てられなかった人たちなのだろう。では、なぜ小中学校で道徳心が身につかなかったのだろうか。
道徳の授業以外でも、日常の学校生活において、子供達は教師から厳しく口うるさく気持ちや態度について日々指導を受ける。立派な人にならないはずがないと思えるほどだ。しかし、一定数の子供はそのような指導、教育を受けないで育つこともある。それは、子供や親の気持ちや考えを尊重する学校であったり地域であったりする場合である。人権尊重や個性尊重、ゆとり教育、表現力の育成の名のもとに、子供達に自分勝手にふるまわせ、言い訳を許し、子供や親の要求を丁寧に聞いて尊重するようになってきた。そうすると、自分勝手で言い訳ばかりする大人にならざるを得ない。そう育てたのだから。どこの世界に、人権尊重だからといって3歳児の言う通りにさせてやる親がいるだろうか。学校教育、集団教育のプロ教師が、現場の実態を全くしらない自己中の親の願いをかなえてあげて、どうしようというのだろうか。
このような若者や大人が増えてしまった今、わがままなどを許さない規律ある戦前~金八先生あたりまでのような厳しい学校教育に今一度目を向けてもいいのではないだろうか。そうすると、多くの人は、「子供をたたいて怪我をさせてよいのか」などと極論をもちだして反対するのだろうが、極論の話ではない。バランスの問題である。けがをさせない程度にたたくのはあたりまえのことである。このようなくだらない説明が必要な議論自体、今の多くの若者~中年が望ましい教育を厳しく受けてこなかった表れでもある。文科省は、CITやプログラミングなどに夢中になっている時ではないと思うが。