「セクシー田中さん」問題でも、松本氏問題でも、論理(筋道)を整理すればネット上でも情報番組内でも、おかしなやり取りで誹謗中傷合戦になるはずがない。

「セクシー田中さん」問題は、原作者の作品なのだから原作者の言う通りに脚本やドラマを作る。それだけである。これについてはだれも異論はないだろう。原作者が、原作に忠実にドラマを作ること、原作者の言う通りに訂正すること等々の約束通りにするのであれば原作を使ってもよいということになっていたという。原作者がそのように話し、そのような約束まで交わしていたのであれば、あとは原作者以外が約束通りにドラマを作るか、あるいはドラマは初めからあきらめるかのどちらかしかない。日本テレビは作ることに決めたのだから、原作者との約束を厳守したりさせたりしなければいけない。

 もし原作者が、脚本家も監督も自由に変えてドラマを作ってもよいと言った場合には、そうすればよい。

 これ以外はないのに、なぜネット上で原作者擁護側と批判側の両者の議論がぶつかり合い、口喧嘩になるのだろうか。おそらく、上の2つをごちゃまぜにしてどちらがよかったかという比較の議論をするからかみ合わないのだと思う。比較の問題ではない。すでに決まっており、それをどのように決めるかは原作者の自由である。それにあわせて脚本家やテレビ局がやるだけで、それではドラマができないというのであれば、今回のドラマは作れないというだけのきわめてシンプルな話である。もし議論をするなら、誰が最初の約束を守らなかったか、誰が原作者の意思を無視したか、情報不足による不適切な非難をネット上で初めにしたのは誰なのかなどのエラー(問題点)を検証する程度になるだろう。

 吉本の松本氏問題も、違う筋の話を一緒にして自分の立場を言い続けているだけだから、口喧嘩(誹謗中傷合戦)になってしまうのは当然である。かみ合わずに非難の応酬がエスカレートしていくのは当たり前だ。松本氏問題も、極めてシンプルな論理の話である。