政治家やメディア関係者が不適切な言動を行った時、「説明責任を果たせ」という。詭弁と嘘でうまくごまかすことができれば、悪くないことになるのだろうか。

 言い訳や弁解、理由などいらない。泥棒にだって、「ほしかったんだもん」「生活が苦しかった」などの理由がある。

 すべては、実際に行った行動のみで判断されなければ、全ての悪を無かったことにできる。言葉はいらない。事実のみである。

 説明責任や言い訳、詭弁、嘘など呼び方は何でもよいが、「うまく言えれば許される」という習慣はもうやめにしよう。嘘や詭弁で善悪が判断されるのではなく、「何をしたか」で判断されるべきであろう。「説明責任」などという言葉は死語にしなければいけない。おそらく、悪いことをした政治家が、説明責任を果たせば悪くないことにできるようにと、日常的に使い始めたのではないだろうか。

 ジャニタレ会見の司会者が何を言おうと、手元の指名NGリストに何度も目をやりながら指名し(手元を見てから指名し)、リストに載っていたほとんどの人が指名されなかったという現象、事実によってのみ、司会者の行動を評価するべきであろう。理由や言い訳などは関係ない。