ネットを見ていたら、「体罰が許されない理由は何ですか?」という質問があり、その説明が「体罰は、児童生徒や保護者との信頼関係を揺るがすことにつ ながりかねない、教育的にも、人権上も、配慮に欠けた行為です。 体罰による指導により、正常な倫理観を養うことはできず、むしろ 児童生徒に力による解決の志向を助長させ、いじめや暴力行為などの 土壌を生む恐れがあります。」というものだった。

 昭和生まれの私がこれを見ると、どの部分も賛成できない。一つ一つ見ていきたい。

「体罰は、児童生徒や保護者との信頼関係を揺るがすことにつ ながりかねない」ー戦後直後から30年程前までは、悪いことをしても反省しないような子どもは、普通に教師にたたかれた。もちろんけがをさせるくらい強くたたく教師はいなかった。頭をごつんとされる感じだ。しかし、それによってその教師を嫌いになったという子どもはほとんどいなかったと思う。怖いと思うようになったとは思うが、怖いけど好き、怖いけど特に嫌いではないという感じだ。60歳以上の方々には賛同してもらえるのではないだろうか。悪いことをした子供は、自分が悪く先生は叱ってくれたということをわかっているのである。現代はそれをわからない親やマスコミが騒ぎ、ゆがんだ情報をマスコミが流し、子育てをしている全ての大人達や子供達がそれを見聞きして学校に対して反抗的、攻撃的になっているのではないだろうか。

「教育的にも、人権上も、配慮に欠けた行為です」ー教育的というが、人によって何が教育的になるかは異なり、全員同じではない。能力や性格、環境などによっても異なるから、個に応じた教育が必要なのである。「人権上も配慮に欠けた行為」というが、家庭での体罰が禁止されていないイギリスやカナダ、アメリカなどは、他国に比べて人権には厳しい国である。勝手に決めつけた言い方と言わざるを得ない。日本はもし自分の主張に自信(正当性)や客観性があるのであれば、イギリスなどに善意の気持ちで直すように教えてあげたほうがよいだろう。

 それ以降の文言もすべて反論したいが、疲れたのであとは省略する。

 なぜ昔は若者の犯罪や街でたむろする不良が少なかったのだろうか。なぜ、成人式で暴れるような子どもが現れたのだろうか。悪いことをしたら親や教師からたたかれ厳しく注意をされながら育ち高度経済成長を支えてきた70歳以上の人々は親や教師と信頼関係を築けなかったのだろうか(築けないのは今ではないだろうか)。

 以上のことから、体罰はだめという人々が、「けが」(けがをさせないのは当たり前のこと。極論で反対するのはいけない。万が一けがをさせたらそれは処罰の対象)や「信頼関係が・・」という理由で反対することは実態とかけ離れていて適切ではない。今の不良中高生が教師からたたかれて文句をいって教師を信頼しないのは、親やマスコミが学校や教師に対する間違った知識や認識を子どもに与えて洗脳しているからである。子どもたちは、真剣に叱ってくれる厳しい大人、目標となる大人を求めているのである。

 自分たちや将来のことである。無責任であおり役のマスコミや教育評論家?からの情報をうのみにせず、イギリスやアメリカの考え方、祖母や祖父母らの話などを聞いたりしながら自分でよく考え、学校や教師と(対立しながらではなく)協力しながら、共に子どもを育てることが重要であろう。