多くの人が反対するような政策や政策の欠点が明らかになった時、政治家たちはよく「丁寧に説明していく」「説明責任を果たしていく」と述べて、政策を変更したり謝罪したりすることはない。

 政策が失敗した時に政治家が発する「丁寧に説明する」とは、政策の欠陥を無視してそれを決めた一面的な理由を繰り返し話し続けることで、「発表した政策や方針は絶対に変えません」という意味である。なぜマスコミも専門家も国民も、政治家たちのこの戦法を認めているのだろうか。テレビ局のニュースに至っては、「今後、説明責任が求められています」と、政治家は都合のいい一面的な言い訳を言うことですべてが許されるというレールを必ず敷いてやっている。訳が分からない。だから総理大臣は最終的に一方的な詭弁会見を行って、突き進むのである。政治家の言い訳や詭弁(=丁寧な説明、説明責任)などいらない。それらを政治家に話させることで、それらを国民が聞くことで、政策内容や結果が変わるというのだろうか。政治家の弁や議論(結論ありきで最後は多数決のため)はなんら意味がない。重要なことは、実行する政策や法律の内容だけである。

 政治家からこの言葉が出たら、「政策を直したり撤回したりはもうない」ということだ。結論ありきの言いぐさである。政治家たちの誤った判断やこの手法を止めるには、次の選挙における投票時にしか国民にはチャンスがない。

 国政選挙の時、国民は「地元の人だから」とか、「選挙演説でニコニコし、何度も頭を下げて一生懸命投票をお願いしていたから」などと言った理由で投票することはやめてもらいたい。「国民のためにプラスになることを実践できそうな人か」という観点で投票をしてもらいたい。自分の生活はもちろん、国民全員の生活、そして経済、外交、安全保障など、すべてに関わることなのである。