呼び方は悪口でも非難でも誹謗でも中傷でも何でも構わないのであるが、SNS上で誰かを不快にさせる書き込みがなされるということがある。むしろ、地球上のすべての人の知識や考え方、価値観、常識、好み、性格等々が異なるため、誰も不快にしない書き込みのほうが少ないかもしれない。もしかして、誰も不快にしない書き込みというものは全く無いのかもしれない。道徳的に良いことのように見えても、特定の宗教をやっている国の人からすると、その神の命に反するということも考えられる。
さらに本質的なことを言うと、人間は自己中で人の悪口を言うこと(=自分を有利にすること)が遺伝子に組み込まれている。4歳位までの子供を見ていると、教えもしないのにその姿ばかりが見られる。自然界で動物である人間が生き残るために備わっているものなのだろう。それを家庭や学校での道徳教育によって抑え込む練習をするから、大人になると時々我慢することができるようになる。しかし、自己中や自分を有利にしたい(しなければ!)という思いのすべてを無くすことは絶対にできない。だから、主婦の井戸端会議や、学校での友達との会話、会社の給湯室など、あらゆるところで他人の悪口、非難といったものが行われている。
このような人間の本質や実態を基に考えると、「SNS上だけには誹謗中傷を書いてはいけない」というお願いは、非現実的なことであろう。
一般人による書き込みに対して、よく芸能人たちは「誹謗中傷だ」とネット上(時にはテレビやラジオ)で主張するが、それらも例外ではない。内容を見聞きすると過激なワードを用いており、私にはそれこそ誹謗中傷や煽りの類に見える。一見注意のように見えて、実は誹謗中傷合戦を自分がスタートさせている場合もある。
このような環境の中において、誰かを不快にする書き込みを無くすためには、ブログやインスタ、HP、掲示板、口コミ、コメントなど全てのSNS上への個人の書き込み(考えや意見)をシステム的にできないようにするしかない。書き込みはいいが誹謗中傷だけダメというのは無理である。
こう書くと「表現の自由」を認めないのかとなるのだろうが、法や秩序、人権を守るために適切な範囲を決めることは悪いことではない。30年前にはツイッターもインスタもなかったと思うが、誰も困らなかった。今は人間が欲張りすぎて、墓穴を掘っている感じだ。例えば70年前にはSNSなどなく、ネット上に個人の意見を書き込むということはなかった。しかし、表現を禁じていたわけではなく、投書したり選挙で意思を示したり、あるいは警察に通報したりなど、自分の意思表現はそれなりにできる環境だった。自由な表現が禁止されていたわけではない。今は、限度を超えて誰かが困るような表現が自由にできてしまう。それが可能なツールを生み出したからだ。だから、表現できる範囲(場)を決める(限定する)ことが重要であろう。乱獲や無計画な開発同様、何事もやればよいというものではないだろう。人間は、後先考えずに欲を出しすぎてはいけない。