「数は力なり」を許してはいけないと思う。なぜならば、嘘情報や詭弁、圧力や脅迫等々、あらゆる方法を駆使して、人の心を変えたり自分たちの仲間にしたりすることが可能であり、主体が不適切であればあるほど数を集めて好き勝手にしたがるものだ。
同じような理由で、「民主主義」なるものも非常に怪しいのである。あることに対して国民の多くが「賛成だ!」といっても、賛成と思うまでに得られた情報が全くの嘘や部分的な情報であったのかもしれない。いや、今の社会においては、むしろそちらのほうが多いように思う。善悪関係なしに、あらゆる手段を用いた「情報戦争」に過ぎない。
政党政治や派閥政治、選挙、どこかの国の団体など、数が集まればそれを正当とみなしたり、言いなりになるしかないしくみがよくないことは、よく考えれば誰もがわかることだろう。しかし、その方法しかないから、やっているというのが本音ではないだろうか。
人間は所詮インプットされた情報を、国の教育やマスコミの情報など外部情報が作り出した脳で少しかき混ぜて、そのままアウトプットする機械のようなものに過ぎない。それが多く集まったからと言って、正しかったり、よりよいものになったりするとは限らない。
では、多数決など数の多さで決めるという方法(民主主義)をとらず、人間にとって真にベターの結論を導き、それを実行していける全く新しい考え方の方法はないものだろうか。考えてみたが、あまりにも多くの部分的なことを変える必要があり、不可能に近いという結論に至った。
「数は力なり」を許してはいけないと思うが、認めざるを得ない。