ジャニーズ喜多川氏による未成年者への性暴力について、東山紀之氏が口を開いた。

 当たり前の一般的なことを並べて話していたが、最後のほうで「心を痛めたすべての方々、本当に申し訳ありませんでした。」と話した。

 私の最も嫌う言動だった。この一言によって、なぜ彼が謝罪をするのか、何か後ろめたい気持ちでもあるのか、自分だけ善人のようにふるまおうとしているのか、彼は被害者側ではなかったのか、怒りをもって厳しく批判する立場ではないのか、もしかしたら彼も長年事実を知っていたが黙認して元社長の性暴力を事実上サポートしてきたのか等々、様々な疑問や疑念で私の頭の中がいっぱいになった。

 最後に彼は「日曜の朝にこのような話をしてしまい重ね重ねおわびを申し上げます」と述べた。重ねてまで、わけのわからない謝罪(自分をよく見せようとする筋違いの謝罪)をするなと怒りがわいてきた。先日、近藤真彦氏が、ジャニーズ事務所による性加害問題について「もう知っているでしょ、隠し事なしに正々堂々と話してほしい」と述べた。これが普通の人の感覚であり、ごまかしや忖度のない正直な感想であろう。ジャニーズ事務所にいる(いた)人の中に、普通の誠実な人もいることがわかってほっとした。東山氏は、元社長の性加害に対して事実上何らかの役割を果たしておらず(最年長?としての黙認)、本当にジャニーズの改革を思っているのであれば、謝罪などではなく近藤氏のようにこれまでの事務所の行為に対してもっと非難をしたり怒ったりしてもよいと思う。

 社長の会見といい、先日の櫻井氏の行動といい、今日の東山氏の謝罪といい、すべてが納得いかない。今、事務所にはしっかりとした人がいないのだろうか。もしそうであれば、外部の人(元大手企業の社長など)に社長をお願いしてすべてを任せたほうがよいと思う。

 

〈追記5/22〉

所属タレントを含めたジャニーズやテレビ局への批判が、オンラインニュースなど公の場にようやく出始めてきた。例えば、事務所社長の「知らなかった」発言を批判できないテレビ局の忖度や、事務所による報道への介入(東山氏の「後輩たちに発言を待ってもらっていた」)は報道倫理違反ではないか等々。ジャニーズ事務所の法的処理(犯罪者は罰して事務所を解散し、所属タレントは他の事務所に分散させるなど)は可能であろうが、一番の問題はどうやって日本のテレビ局を公平・正義を貫く正常な報道機関にしていくかということであろう。社長が変わったり自己批判をしたりした程度では何も変れない。テレビ局に正義があったらジャニーズへの忖度も喜多川氏の行為もなかった(数十年前に問題になった時にテレビ局が公にして追及していれば、喜多川氏は未成年者への性暴力を続けてこなかったであろう)。ジャニーズ事務所以上に、テレビ局の罪は重いと思う。今後のテレビ局の浄化と改革が見通せない。政治家達もそうだが、問題のある当事者が自分の力で直していくということはできないのである。総務省などにテレビ局の問題行動の監視を任せたいが、官僚にはやはり政治家がくっついているから、それも意味がない。忖度や癒着、ご都合主義、利益誘導などがもっとひどくなる感じがする。テレビ局の改革と監視をどこが行えばよいのだろうか。